鉄血夢
■鉄血夢・登場人物
佐脇ちゃん(17)
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佐脇家(ボードウィン家の筆頭家人)の一人娘
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ボードウィン家に行儀見習い後、ガエリオの婚約者に。
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性格や本質は刀らぶの世界線と同じだが、ガエリオの固有スキル“いつの間にか人を更正させている”により、刀らぶほど歪んでいない。
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自分を救ってくれたガエリオを神様のように思っている。
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実父への恋心もあるが、ガエリオへの信仰心が強い。
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ガエリオ亡き後、マクギリスに不信を抱き、ギャラルホルンへ。
ガエリオ(26)
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ボードウィン家の嫡子。武力組織「ギャラルホルン」に所属する特務三佐。
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優秀なモビルスーツパイロット。
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若干粗暴な言動が目立つものの、育ちの良さもあってに正義感が強い。真の主人公。
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固有スキル“いつの間にか人を更正させている”の持ち主で、復讐に身を投じようとした青年を更正させている。
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佐脇ちゃんの事を“なんか危なっかしい奴”と思っている。
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佐脇ちゃんを大切に思っており、必ず連絡をしている。彼女の料理がトラウマになっている。
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佐脇ちゃんが20歳になるまで手を出さない事にしている。
マクギリス(27)
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イケメンのサイコパス
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ファリド家の跡取り息子(養子)で、ギャラルホルンの特務三佐。
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ガエリオとは幼馴染み。政略結婚により、ガエリオの妹アルミリア(9)と許嫁関係。
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アルミリアを女として愛している究極のロリコン
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理想を実現させる為、ガエリオを手に掛けた。
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何かよく分からないけど、佐脇ちゃんをギャラルホルンに勧誘した。
●愛の果てから
無数の銃声が高く低く、空へと鳴り響いた。ギャラルホルン儀仗隊によって、弔銃が発射されたのだった。
佐脇水花は顔をあげた。太陽は天空の高み、ほとんど白夜月と重なるような位置にあり、墓地にあるすべてのものを容赦なく照りつけていた。梅雨の終わり、その到来を告げる猛暑だった。細かな青草が密集して地面を覆いつくし、むせるほどの強烈な臭いを充満させていた。
佐脇は小さく咳き込んだ。深黒のレースを基調とした喪服を身にまとう姿は、美しくもどこか物悲しい。抜けるように白く透明な肌。艶やかな黒い髪をツインテールに結い上げて、風になびくレースのスカートをひらりと揺らしながら、悲しげに佇んでいる。頭には浅い筒型のつばのない帽子――トークハットを被っていた。
表情は黒のレースとリボンの飾り、そしてベールに覆われている為分からないが、その美貌は息を呑むほどに清冽なものを見せていた。目の覚めるような、それでいてぞくぞくと秘密めいた美しさをたたえて、彼女は葬儀を見守っている。
葬喪の儀仗隊は柩の前後に列して行進し、一糸乱れぬ凛とした敬礼をした。ビューグル(信号ラッパ)の音が響きわたる。それは重苦しい荘厳さに満ちていた。
体が震えたのはそんな時だった。まるで露の玉が、花の上でひっそりと震えるようだった。彼女の心は深い悲しみによって、涙の底へと落ちていく。そこでようやく、全てを悟ったように嗚咽をこぼした。ふっくらとした唇は青ざめ、今にも凍ってしまいそうだった。
その姿は見る者を悲しませるというより、哀れみの感情を抱かせるような印象すらあった。無理もなかった。佐脇水花はアーブラウ代表指名選挙を巡る戦争で愛する婚約者を失ったのだ。
「……ご体調が優れませんか?」
佐脇の耳朶を湿った声が打ったのたは、葬儀が終わりかけた時であった。
「失礼。顔色が優れないように見えましたので」
佐脇はそちらに顔を向ける。見覚えのある男が二人の供を連れていた。三人ともギャラルホルンの将校であった。濃紺と白を基調とした礼装に身を包んだ男は、ゆったりとした歩調で彼女の傍まで寄ってきた。
「大丈夫ですか、ミナカ嬢」
男は言った。古代の美神が自身の手で彫琢したように美形の男だった。白金の髪はきらびやかで華やか。淡い水色の瞳は水晶のように神々しい。その悪魔のごとき美しさに、はっと心を奪われそうになる。
「ご機嫌麗しゅうございます、ファリド公。あの、何かご用でしょうか?」
「ガエリオ……いえ、ボードウィン特務三佐の婚約者である貴女をお見かけしたとあればご挨拶せねばなるまいと思いまして。ボードウィン特務三佐は私の友人ですから」
マクギリス・ファリドは微笑んだ。本人しては堅い発音のつもりだが、大抵の者には甘い口調に聞こえる響きがある。
「私にお手伝いできることがあれば、何でも仰ってください。ボードウィン特務三佐を亡された今、貴女の後ろ楯になってくれる者はそう多くはないでしょう」
「……お気遣いありがとうございます」
佐脇は悲しげに目を伏せた。
世界の治安維持を目的に設立された武力組織ギャラルホルン。それを束ねる七つの家門セブンスターズ。ボードウィン家はセブンスターズを構成する一族の一つであり、ガエリオはその嫡子だった。そして佐脇家はボードウィン家に仕える最高家人である。佐脇家は揺るぎない忠誠心、その証として娘を差し出したのだ。いわば、佐脇水花は強制された政略結婚の犠牲者であった。
しかしそれでも、佐脇は幸福を噛みしめていた。ガエリオは優しい青年だった。飄々とした態度や若干粗暴な言動が目立つものの、育ちの良さもあって正義感が強く、何より自分をこの上なく愛してくれた。東洋人である佐脇の経歴について差別せず、宝物のように扱ってくれた。
結婚を間近に控えていた矢先、ガエリオは戦死した。激しい戦闘故、遺体すら残らなかったという。つまり棺には何も入っていない。儀仗隊は型どおりに儀式を行っているだけに過ぎない。棺は儀式を儀式らしくする為の演出効果、それ以外の何ものでもなかった。
「嫡子を失ったボードウィン家はいずれ娘婿である私が引き継ぐことになるでしょう」
「……アルミリア様の婚約者である貴方が?」
「私もセブンスターズ、ファリド家の人間です。ボードウィン特務三佐の親友として、セブンスターズの一員として、義務は果たすつもりです」
「……それで私は」
佐脇は細く白い指で髪を撫でた。それは陽光を浴びて、さらさらと揺らめいた。
「ファリド公の愛妾になるのですか」
「これはこれは」
マクギリスは目を大きく見開いた。見開いて、困ったように苦笑してみせる。美しい乙女である佐脇には、既にそうした誘いが無数に来ていた。セブンスターズなる上流社会で、“お手つき”でも構わないという人間は早々現れない。マクギリスは整った眉をあげる。
「親友の妹を妻とし、婚約者を愛妾とする。私はそれほど横暴な男にはなれません。何より貴女はボードウィン特務三佐が大切にしていた方。手荒な真似は致しません」
「ではどうするのです」
「……佐脇家にお帰りなさい。まだ傷が癒えぬでうしょが、すぐに新しい婚約者を」
「私の婚約者はガエリオ・ボードウィンだけです」
佐脇は言った。柳眉を逆立てて、マクギリスを射るように見つめる。口調こそ甘やかだが、そこには断定的なものが含まれていた。彼女の美貌が言い知れぬ何かで満ちて行く。ただ愛する男の為に全身を紅に染める彼女は、悲しみと怒りを宿す女神そのものだった。
マクギリスは背筋を伸ばしたまま言った。
「彼を愛しているのですね」
「…………」
佐脇は答えなかった。深く澄んだ黒い瞳の奥で星が瞬き、そして消えていく。それは闇の底から、淡く光りだす蛍のようであった。マクギリスは心に刻み込むように、それを目で一瞥する。ほんの一瞬だけ思考を巡らせ、やがてゆっとりと言葉を吐き出した。
「……ガエリオの命を奪ったのはギャラルホルンです」
「それはどういう意味でしょうか」
「言葉通りの意味ですよ、ミナカ嬢」
「……それは失言では……あなたはギャラルホルンの」
佐脇は言いかけ、気づいた。マクギリスの瞳には嘘に類するものがまったくあらわれていない。しかしそれは光の対極にあるものだった。彼女は過去、この美青年が同じような態度を示した時のことを覚えていた。若い頃、足の骨を折った愛馬の処分を命じた時、彼の瞳は今と同じようなものを宿していた。
どうして、佐脇は声なき声で呟いた。ただ一人の親友を失ったといったのに、どうして貴方はそんなにも冷静でいられるの。分からない、分からないわ。あるいはこれがマクギリス・ファリドという男の本質だとでも言うの。ならどうしてガエリオ様は……いいえ、考えてはダメ。これ以上は彼を侮辱することになるわ。だからダメ、ダメなのよ。
ガエリオ様の死にファリド公が関わっているなんて、考えてはダメ。
「長きにわたる平和の中でギャラルホルンは当初の理念を失い腐敗、その余波は民衆にも差別や貧困というかたちで蔓延していき、此度の戦争の原因となりました。ボードウィン……いえ、ガエリオの命を奪ったのはギャラルホルンの腐敗なのです」
マクギリスは言った。どこか、傲慢なものを感じさせる表情であった。佐脇は眉をひそめる。戦争によってギャラルホルンの腐敗は暴かれ、その権威は地に落ちている。かれの言葉に偽りはない。しかしそこには何かが存在しているような気がしてならない。その理由は分からなかった。自分を形成する全てが、そう思うように仕向けているのではと思った。とすればこれは本能そのものだった。だからこそタチが悪いとも思った。
一度不信を抱いてしまえば、もう拭い去る事は出来ないからだ。
「ガエリオは気高く美しい戦士でした。私はそんな彼を誇りに思っています。今も、そしてこれからも」
「……ガエリオ様もお喜びになるでしょう」
「まさか。きっと彼は私の事を笑っていますよ」
「そうでしょうか」
佐脇は否定した。彼女の言葉は雪のように冷たく儚い。ほんの少し熱を込めてしまえば、呆気なく溶けてしまいそうなほどか弱い声で、もう一度言った。
「本当にそうでしょうか」
佐脇の内心にあるものを察したマクギリスは、彼女を見つめたまま、しずかに微笑した。伺うようではあるが、蔑んでいる感じではない。
「どうやら私は、貴女の信用を得ていないようですね」
「いえ、そんなつもりでは」
「お気になさらず。婚約者を失ったばかりの貴女に、このような話を持ち出した私が悪いのです」
「……申し訳ありません」
「そんな貴女に話すべきか迷いましたが……」
マクギリスは空を見上げた。一段と澄んだ青さだと思えるのは、夏が近づいているせいだろう。
「ギャラルホルンにご興味はありませんか?」
「ギャラルホルンに?」
佐脇はほんの一瞬だけ目を見開いた。マクギリスはゆっくりと頷いてみせる。彼の表情には、強い意思とも言える何かがあらわれていた。
「貴女のような方が今のギャラルホルンには必要なのです」
「……わ、私は何の取り柄もない、ただの女です。そんな私がギャラルホルンのお役に立てるとは思えません」
佐脇は張りつめた気分のなかで可能な限り丁寧に言った。喉奥から奇妙なうめき声を漏らしそうになる。慌ててハンカチで口をおさえ、目を伏せた。
「お許しください、ファリド公」
「……今日明日というお話ではありません。ほんの少しで構いません。考えては頂けないでしょうか?」
「ギャラルホルンは力そのもの。力の扱い方を知らない私が触れていいものではありません」
「その考えこそが今のギャラルホルンには必要なのだと私は思います」
「ファリド公……!」
「……出過ぎた真似を致しました。失礼をお許しください、ミナカ嬢」
「私の方こそ」
佐脇の声はまだ硬かった。その静かな声に秘められたものを感じ取りながら、マクギリスは丁寧な相槌をうった。女を魅了する唇の形が変わる。微笑だとするならば、あまりにも機械的な微笑だった。
「お困りの時はいつでも私を頼りにしてください。私と貴女はボードウィン家の一員、いわば家族なのですから」
「家族……」
佐脇は弱々しく呟いた。気分が悪くなるほど生々しいものを感じた。何もかもが複雑で曖昧。そして得体が知れなかった。
だがしかし、どんな香水よりもすばらしく香りたっているような気がした。甘い、甘いのだ。まるで麻薬のそれだ。
「それでは」
マクギリスは短く言い、軍帽を、ほとんど眼が隠れるあたりまで深く被る。それからもう一度佐脇へ頬笑むと、その場を離れていった。
その何気ない姿がガエリオと重なって見えた。
×××
闇よりも深い夜の底で、佐脇水花は刀を抜いた。
刃は夜の闇に吸い込まれ、消えていく。すると真っ黒な闇が足元まで押し寄せてきた。すでにあたりは闇に覆われている。部屋が一色の黒い闇に塗りつぶされていく。
その全てを斬り裂こうと、佐脇は刀を大きく振り上げた。喪服の袖そでから伸びた色白の細い腕が痙攣する。そのまま降り下げる事が出来ず、刀を床に落とした。硬く重たいものが床に激突する衝撃と音が部屋の中で虚しく響きわたる。
佐脇は両手を胸の前で握り合わせながら、まじまじと刀を見つめた。
そこにあるのは刀だった。祖父が先々代のボードウィン家から授けられたものだった。はるか昔、女の幽霊を石灯籠もろとも斬ったとされる名刀で、佐脇家の宝だった。それが毎日手入れされているころから知っていた。
佐脇はもう一度刀を手にする。ずっしりとした重みに体が震える。それは力そのものだった。心と体を痺れさせる暴力そのものだった。
その時、脳裏を過るものがあった。
「ガエリオ様……」
ガエリオ・ボードウィン。あの気高く美しい人と過ごした日々が、頭の中に溢れだした。
何の取り柄もない、内気なだけの自分をまっすぐに愛してくれた。何処へ行けばいいのかも分からず、ただ、流れるままにさ迷っていた自分を、どこまでも力強く、そして逞しく導いてくれた。生きる意味さえ見いだせなかった自分に、その意味を教えてくれた。それはガエリオにとって、とても些細な行為だったのかもしれない。
しかしだからこそ、佐脇水花は救われたのだ。彼女にとってガエリオは、気高くも欠点に満ちた神そのものだった。
「ガエリオ様……」
心の蓋を押しのけ、湯水のように記憶が流れてくる。ガエリオの姿や、愛しさ、切なさ、幸福、希望、ありとあらゆる記憶がいっせいに現われた。それは記憶の輝きだった。淡くもなく、ただ、眩しいほどに輝かしい光。
突然、すべてが消え失せた。
呼吸が早くなり、息が荒くなる。息が苦しくなってはじめて、自分が呼吸も忘れていたことに気づいた。気分を落ち着かせようと、ゆっくりと深呼吸した。それでもどうにもならなかった。胸がしめつけられ、圧迫される。その痛みは毒のように、ありとあらゆる神経を侵食していく。
そこでようやく肺が、吸い込むより吐きだしたがっていることにはじめて気づいた。
「ああ……」
腕が、肩がふるふると震えていた。喉奥から嗚咽によく似たものが何度か漏れる。体の中から何かが抜け落ちてゆくような感覚を覚え、そのまましゃがみこんだ。
「ガエリオ様が、ガエリオ様が死んでしまった……いいえ、違うわ……殺されたんだわ……分からない、分からないけどきっとそうよ……絶対に、絶対にそうだわ……」
一体誰が殺したの、そうささやきかけるものが脳のどこかに存在した。それは容易に説明のつかない感覚。何もかもが幻のように思え、同時に現実的なものにも思える不思議な気分。
マクギリス・ファリドの姿が脳裏を過る。
ファリド公がやったのよ、佐脇は思った。それが論理からくるものでないことに彼女は気づいていた。直感、本能、第六感、そんな類いのもの。
「ガエリオ様の仇を討たなければ……」
佐脇は刀を握りしめる。まるで刀を絞殺しようと望んでいるかのような力の強さだった。しかし刀はそれを甘んじ受け入れるように、鈍く光った。
その光の美しさに、佐脇が気付くことはなかった。