キノ夢
​■キノ夢・登場人物

佐脇水花

  • 旅人。

  • 刀ノ国の元お姫さま。革命によって他国へと亡命した。

  • にっかり青江なる刀と旅をしている。

 

にっかり青江

  • かつて幽霊を斬ったとされる刀(一般的には剣と呼ばれるもの)。

  • 佐脇の旅のパートナー。

  • この世界のどこかにいる兄弟刀・数珠丸を探している。

 

キノ

  • 旅人。

  • 世界で一番美しい剣・刀を探していた。

 

エルメス

  • キノの旅のパートナー。

  • モトラド(二輪車で空を飛ばないもの)。

​●刀ノ国 1

ほろほろと舞い散る花の木を、人々はサクラと呼んでいる。これは国の象徴だと彼らは言う。その物言いはひどく誇らしげで、そして得意気だった。

 

「綺麗だねキノ」

 

エルメスと呼ばれるモトラド(二輪車で空を飛ばないもの)が言った。彼の車体には、淡いピンク色の花びらがぴったりと張り付いている。それらは美しい模様のように煌めいているが、このままにしてしまうと、塗装を侵す場合もある。キノは頷いてみせた。

 

「後で洗車しないといけないね、エルメス」

「どうせならエアーガンがで洗ってもらいたいなぁ」

「それは科学が発展している国にしかないよ」

「えー、残念。あれすっごく気持ちいいんだけど」

「贅沢は敵だよ、エルメス」

 

キノはくすりと笑った。まだ年端もいかない少女だが、その面立ちは少年のように清々しい。身にまとうものは、黒いジャケットと茶色いコートで、それらは着古された男物だった。彼女を知らない者が見れば男と間違うだろう。しかしだからといって、キノの美貌が色あせることはなかった。いや、着飾らないからこそ美しいのかもしれない。

 

「それにしてもさぁ、この国は何処へ行ってもサクラの木ばかりだね」

「そうだねエルメス。まるでこの花しかないみたいだ」

 

周囲には色あざやかなサクラの木が、どこまでも広がっていた。幾千万のサクラの花びらが舞い散る、広大なサクラ並木だった。そこは美しいサクラの国だった。

 

「この国へ来たのは初めてですか、旅人さん」

 

後ろからキノに声をかけてきたのは、この国在来の民族衣装を着た老女だった。長着を身体にかけ、腰辺りに帯を結んでいる。

 

「ええ、初めてです」

「こんなたくさんのサクラの木初めて見たよー」

 

キノが答え、エルメスが楽しそうに言った。老女は微笑んでみせた。優しげな顔つきには、何処か哀しげな表情をしたものがあった。

 

「サクラはこの国の象徴です。旅人さんは運が良かったですね。毎年この時期だけにしか咲かない花ですから」

「ええ、幸運でした」

「どうぞゆっくりご覧になってください」

「……一つだけ訊きたいことがあるのですが」

「あら、何でしょう?」

「ここは刀ノ国ですよね」

「ええ、刀ノ国ですよ」

「刀はどこへ行けば見れるのでしょう?」

「この国に刀はありません。全て焼却処分されましたから」

「……それはどういう事でしょうか?」

 

キノは訝しげにたずねた。すると老婆は笑みをたたえまま淡々と答えた。

 

「昔この国はサムライと呼ばれる戦士たちに支配されていました。王様もサムライでした。というより、サムライでなければ富は得られなかったのです。サムライでない民衆は税金の為だけに働かされました。それは多額のお金でした。ですからサムライでない民衆は、ずっと貧しい暮らしをしていました。 ですが数年前、革命が起こりました。この国はサムライの為だけにあるわけじゃないという民衆の革命でした。革命は成功しました。この国は平和で、愛にあふれる国へと生まれ変わったのです」

「サムライはどうなったのです?」

「反乱防止の為、処刑されました。王様もその時に」

「それで、彼らの家族はどこにいるのですか?」

「生き恥を晒すぐらいなら死ぬと、自決してしまいました。ですからサムライも、サムライの子孫もいません。王様の妻や愛人も同じです。……ですが王様の一人娘だけは革命の際、行方不明になりました。水中自殺ではないかと言われています」

 

老婆は空を見上げた。その先には光のような青空が果てしもなく続いていた。サクラが淡く静かに揺らめいて、光のなかで踊っている。まるで春の幻影だった。キノは目を細めた。

 

「……ボクは刀が世界で最も美しい剣だと聞いて、この国へ来たのです」

「刀はサムライの象徴です。革命の後、全て焼却処分しました」

「その代わりがサクラになったという事でしょうか?」

「ええ。国の象徴、そして愛と平和の象徴として、サクラは美しく生まれ変わりました。来年には刀ノ国ではなく、サクラの国になりますよ」

「それでこんなにたくさんのサクラの木を植えたのですか?」

「いいえ。ここはかつて王様のお城がありまして、サクラは城の庭に植えられていたものです。革命の時に城は燃えてしまいましたが、サクラだけは残りました」

「……そうでしたか。お話をしてくださりありがとうございます」

「いえいえ、どうかゆっくりご覧になってくださいね」

「はい、ありがとうございます」

 

老婆はその場を後にした。すると待ちわびていたかのように、エルメスがポツリと呟いた。彼の声はかすれていた。

 

「刀、見れなくて残念だね」

「うん。とても美しい剣だと聞いていたから、本当に残念だ」

「少しぐらい残してもいいのに」

「これからも旅をしていけば、一本ぐらいは見れるかもしれないよ」

「そーかな」

「そうだよ。世界はとても広いから」

 

キノはそれきり黙りこんで、サクラ並木を見つめた。甘やかな春風と共に美しく舞っている。

 

それがまるでサムライと呼ばれた人々の涙に見えた。

​●刀ノ国 2

城が燃えていた。

 

炎が突っ立ち、夜の空が朱と金色に染まる。毒々しいほどの赤い炎によって、城のあちらこちらは完全に崩れ、その意味をなくしていた。城門、閉めるための扉も炎の津波にのまれている。

 

無事な姿の建物はなかった。城は燃え、城下町は崩壊して、塔がまるまる横倒しになっていた。

 

赤い空の下、幾千万の人々が城へと押し寄せてきた。彼らは鬼のような形相になって、目に写るありとあらゆるものを破壊していく。それは暴力の嵐だった。嵐のような憎悪が、魂の底から噴き出しているのだ。

 

「お父さま……」

 

澄んだ鈴の音が、赤い炎が漂う夜空へと流れていく。それは乙女の声だった。西門の近く、古びた蔵の中で、まるで寒さに凍えているように、ぶるぶると震えている。

 

「お父さま……どうか生きていて……お父さま……」

 

美しい乙女だった。黒く艶やかな髪を二つに束ねているが、よく見るとほつれていた。はんなりとした桜色の着物で身を包んでいるが、ぽろぽろと涙を流しているせいで、しっとりと湿っている。

 

「……泣いているのかい?」

「えっ!」

 

乙女が声を上げた。ぷっくりとやわらかな唇を開けて、驚いたような表情になる。ほっそりとした指を絡ませて、おそるおそる振り返った。

 

「こんばんわ、お姫さま。刀の声を聞くのは初めてかい?」

 

刀は小さな声で言った。乙女は彼を観察する。妖しくも美しい刀だった。鞘は月を溶かしたように淡い金色で、柄は真っ白に輝いている。まるで宝石のようだった。

 

「ねぇ、僕の話聞いてる?」

「あ、えっと……ごめんなさい……あなたは……?」

「僕はにっかり青江。大太刀の大脇差さ。うんうん、君も変な名前だと思うだろう?」

「にっかりあおえ?」

「そう、それ。にっかりと笑った女の幽霊を斬ったのが由来なんだよ」

「お父さまの刀なの?」

「ああ、この城の主のことだね。今は君のお父さまがそうなのか。うん、僕は君の家に献上された刀だから、そういうことになるねぇ」

「お父さまの刀なら、お父さまを助けてほしいの」

「今夜はいつになく騒がしいけど、何かあったのかい」

「分からないの。私が目を覚ましたらお城が燃えていて、それからたくさんの人がお城に入ってきて、お父さまが蔵に隠れろって……」

 

乙女は声をあげて泣き出した。ゆっくりとゆっくりと、彼女の泣き声は蔵へと響きわたる。それはコロコロと鈴を転がすように甘い声だった。それから身をかがめて、にっかり青江と呼ばれる刀を抱きしめる。青江はため息をもらした。

 

「……おやおや、大胆なことをするねぇ」

「お願い、お父さまを助けて」

「刀は戦ってこそだけど、僕だけでは動くことも出来ないんだよねぇ」

「……私がやるわ。だからお父さまを」

「君に人が斬れるのかい?」

「……それは」

「命を殺める覚悟はある?」

「……でも、でもお父さまが」

「この様子だと、君のお父さまは名誉ある死を選んだはずだよ」

「そんなはずないわ……」

「サムライとはそういうものだ。その証拠に城が燃えている。君だって本当は分かっているんだろ?」

「やめて!」

 

乙女は叫んだ。口を開いて苦しそうに呼吸をして、さらに強く青江を抱きしめる。

 

「あなたに何が分かるの、まだ生きているかもしれないのに」

「彼らの考えることは分かるよ。これでも刀だからね」

「…………そんなの嘘よ……信じない……」

「それは構わないけど、君はこれからどうするつもりだい?」

 

青江は訪ねた。探るような、それでいて案じるような声だった。しかし乙女は何も答えることはなかった。まるで彼の示した優しさを拒むように、何度も何度も首を横にふる。その度に、大きな黒い瞳からは花露のような涙があふれ、青江の鞘にこぼれ落ちる。

 

「……私は、私はお父さまの娘です」

「へぇ。それじゃ君も名誉ある死を選ぶってことかな?」

「ええ、ええ、そうです。私は……」

 

乙女は青江を、その剣を抜き放った。太く長い刃は、まるで月の光を浴びた川のように見えた。 ほんの一瞬、彼女は息を止めたが、やがて意を決したように、自身の首もとへ刃を突きつけた。ほっそりとした指がガタガタと震えていた。

 

「震えているねぇ。大丈夫かい?」

「わ、私はお父さまの娘です……」

「健気だねぇ。でも君はサムライじゃないだろ?頑張りすぎは体の毒だよ」

「……そんなことないわっ……!」

「見かけによらず強情だねぇ。でもそういうの嫌いじゃないよ」

「からかわないでくださいっ!」

「はいはい、ごめんごめん」

「だから、からかわなー」

 

背後で大きな銃声がとどろき、弾丸が、乙女の身体をかすめて飛び去った。

 

「い、いやぁっ!?」

 

乙女は悲鳴をあげた。その弾みに青江は手から離れ、ゴトンと音を立てて床に転がる。彼は含み笑いをしてみせた。

 

「んっふふ、痛いことしないでおくれよ。それともこういうのが好み?」

「弾が、弾が私の体を、私の体をっ!?」

「そりゃ戦だからねぇ。弾ぐらい飛んでくるよ。怪我はしてない?」

「お父さまは暴動だと言っていたわ」

「君には暴動に見えるのかい?僕は戦に見えるけどねぇ。……革命ってやつかな?」

「…………そんな……」

「サムライの時代は終わるんだろうねぇ」

「………………嘘よ」

「だから君みたいなお姫さまがこんな蔵で泣いてるんだろ?」

「やめてぇっ!」

 

乙女は目をギュゥッとつぶり、どういう意味か両耳をふさいだ。ありとあらゆるものを拒むように、青江から背中を向ける。着物に描かれた桜が夜風に揺れているように見えた。

 

「……私、本当は死にたくない」

「うん、分かっているよ」

「お父さまの娘なのに……」

「君はお父さまそのものじゃないよ」

「でも、私……」

「君みたいな人がもっとたくさんこの国にいたら、きっと革命なんて起きてなかったはずだよ」

「……ごめんなさいっ…………」

「この蔵には逃げ道があるんだ。それを使って、君は国の外へ逃げるといい」

「……そんな」

 

乙女は顔をあげた。悲しみとも怒りともつかない感情が胸に湧く。両手を握りしめ、青江を見すえた。

 

「あなたはどうなるの?」

「僕はサムライの刀だからねぇ。良くて売り飛ばされるか、壊されるか……。サムライの時代が終わるのだから、刀の時代も終るのさ」

「……そんな、そんなのって」

「それが革命なんだよ。さ、君ははやくお逃げ?」

 

人々の叫び声と、走る音と、爆音とが、すぐ前で飛びちがった。その合い間に城の住人の悲鳴が聞こえてくる。それはゆっくりと、しかし確実に近づいていた。まる で地獄そのものだ。

 

「私は、私は――」

 

乙女は言った。その声は、まるで自らの思いを込めるように、どこまでも深みあるものだった。

 

……心臓にこたえるような爆音が響いた。

​●桜の世界

乙女の歌声が聞こえた。

 

そこは桜の世界だった。幾千の桜の花が咲き乱れ、夜空を埋め尽くしている。そこは幻のような美しさに満ちていた。

 

「――無念桜が舞いおちて、散りゆく際に、うたかたの夢」

 

世にも美しい歌声は、流れ星のように響きわたる。それは甘やかな風の調べとともに、ゆるやかに流れていく。そしてどこまでも悲しそうに、歌は終る。

 

「何だか悲しい歌ですね」

 

旅人が訊ねた。古びたオルゴールのような声だった。年は十代半ば。短い髪はボサボサだが、大きな目を持つ顔は精悍だった。一見すると少年のような雰囲気をかもし出しているが、わずかな胸の膨らみから少女であることが分かる。

 

「それはあなたの故郷の歌ですか?」

「……ええ」

 

乙女はうなずいた。深い海の底で、ほとんど忘れられて漂う水中花のような乙女だった。黒色の髪をツインテールにしていて、大きな水色のリボンを付けている。 それがとても可愛らしものに思えた。

 

「桜宴歌というものですよ。今私が歌ったのは、その一節」

「サクラの歌なんですね」

「まあ、ご存知なんですか」

「色んな国の花を見てきましたが、ボクはサクラほど美しい花を見たことがありません」

「私も一番大好きな花です」

 

乙女は微笑んだ。ただ微笑んでいるだけなのに、どうして彼女はこうも色っぽいのだろうかと、旅人は思いを巡らせた。

 

「ねえねえ、もう二、三曲聞きたいなぁー」

 

声が聞こえた。別の声、モトラド(二輪車で空を飛ばないもの)の声だった。

 

「他にもないの?」

「まだありますよ」

 

乙女は目を細めて、幾千の桜を見つめた。その瞳は真珠のように淡く儚いものを宿していた。

 

「なんだか故郷に帰ってきたみたいです。なつかしいわ……」

「故郷には帰らないんですか?」

「ええ、もう帰ることはないでしょう。……ねぇ旅人さん、旅は楽しいですか?」

「苦しいこともたくさんありますけど、とても楽しいですよ」

「私も旅人になろうと思ってるんです。この桜の世界のはるか向こうに、旅人の為の国があると聞きました。そこへ行く途中なんです」

「なるほど。確かにあの国は、旅人の為の様々な道具や乗り物がたくさんあります。旅の準備には困らないと思います」

 

旅人は頷きながら、モトラドの荷台を撫でた。ほんの少しだけ思考を巡らせ、ポツリと呟いた。

 

「あの、もう一つだけ質問してもいいですか?」

「どうぞ、旅人さん」

「あなたが手にしいている剣、とても珍しい……いえ、美しい剣ですね。それはなんという剣ですか?」

「ああ、これですか……」

 

それは妖しくも美しい剣だった。鞘は月を溶かしたように淡い金色で、柄は真っ白に輝いている。まるで宝石のようだった。

 

「これは私の故郷に伝わる――」

​●乙女の旅

深い、どこまでも深い森に覆われた山のふもとに、古びた城を中心にした街が広がっていた。

 

「これからどうするんだい?」

 

刀(一般的には剣と呼ばれるもの)が訊ねた。案じるような、それでいて嬉しそうな声だった。

 

「旅にでます。その為の準備をこの国でします」

 

乙女はすかさず答えた。まるでハイキングにでも行くかのように楽しそうだった。

 

「ふうん。それで今の今までお金を貯めていたんだねぇ。亡国の姫君とでも言えば、いくらでも頼れる人がいただろうに」

「私はもう世間知らずのお姫さまじゃありませんから」

「んふっ、強情なところは昔のままだけどね」

「からかわないでください」

「はいはい、ごめんごめん」

 

刀は軽くあしらうように笑った。乙女は小さくため息をついて、首を横にふる。ツインテールの黒髪がしずかに揺れ動いて、甘やかな香りをほんのりと漂わせた。それはどんな香水よりも甘い。

 

「それにしても、とても親切な旅人さんたちでしたね」

「旅に必要なものを色々教えてくれたね。……その代わり、僕がぐちゃぐちゃに汚されてしまったよ」

「もう、触られただけじゃないですか。あの旅人さん、ずっと刀を見たかったそうですよ」

「ふうん。そんなに珍しかったんだねぇ」

「私は、言葉を話すモトラドが珍しかったです」

「僕もビックリしたなぁ」

「だからモトラドが欲しくなりました。この国にもあるそうなので、まずはそれを」

「君、モトラドに乗れたっけ?」

「今日から練習します」

「おやおや、それはお疲れ様だねぇ」

「旅をする為ですから」

 

乙女は微笑んだ。それから幸せそうに、古びた城門を見つめた。

 

「これから私の旅が始まるんです」

「どこへ行くの?」

「どこかへ行きます」

「……ああ、そうだね、そうしよう」

 

刀は言った。あい変わらず嬉しそうな声で、ふと思い出したかのように、ポツリと呟いた。

 

「君の名前、まだ知らなかったなぁ。教えてくれるかい?」

「……私の名前ですか?」

 

乙女はちょこんと小首をかたむける。それから何かを考えこむような顔をして、空を見上げた。どこまでも青い空が、ゆるやかに流れる雲とともに続いている。

 

「私の、私の名前は―――」