山田本丸
戦死した娘の代わりに、父親が審神者に就任するお話。
​■山田本丸・登場人物

山田家

  • どこにでもある中流階級の家

山田 (52)

  • 中肉中背。

  • 死んだ娘の本丸を引き継いで審神者になった。

  • 出世に縁のなかった元サラリーマン。

  • 外見にこれといった特徴はなく、後になって思い出せない類いの顔をしている。

  • 真面目なだけが取り柄で、これといった才能はない。

  • 娘の死に憤りを感じており、性格は変わらないものの、強烈な復讐心を抱いている。

  • 妻は健在だが、その関係は冷えきっており、審神者になった彼を軽蔑している。

山田の娘(22)

  • 審神者。遡行軍によって殺された。

  • 死後、英霊として奉られてしまう。

  • 山田曰く、何処にでもいる娘で、英霊なんて柄じゃないらしい。実家では皿洗いすらまともにやらなかった。

  • 青江に片想いしていたらしい。

  • 近侍の長谷部は、山田の娘を好いていたらしい。


長谷部

  • 山田の近侍。

  • 娘の代でも近侍をしており、彼女に恋心を抱いていた。

  • 娘を死なせてしまったことを、誰よりも悔やんでいる。

  • 恋敵であるにっかりに対して憎しみはないものの、どこかよそよそしい。

にっかり青江

  • 娘の代に顕現した刀。

  • 娘から想われていたものの、“人間の感情”がいまいち分からず、応えられなかった。

  • 山田との関係は良好で、それなりに慕っている。

  • 長谷部とは事務的な会話しかしない。


三日月

  • 娘の代に顕現した刀。

  • 娘との仲は良好で、よく彼女の相談にのっていたらしい。

  • 山田の知らない(気づけなかった)娘の一面をよく知っている。

  • 山田に何か隠し事をしている。


伊集院(50)

  • 審神者。

  • 優秀な審神者を輩出する名家の三女。

  • 審神者として優秀で、生真面目な努力家。

  • 誇り高く、不純な動機で審神者になる者達を疎んでいる。


山田の妻(49)

  • どこにでもいる平凡な主婦。

  • 山田との関係は冷えきっており、現在別居中。

  • 審神者になった山田を軽蔑している。

  • 義母の介護等で精神的ストレスを抱えて、その反動で不倫をしていた過去がある。

  • “審神者被害者の会”のメンバー。


山田の母(86)

  • 痴ほう症等の悪化により、入院中。医者いわく、長くはない。

  • 息子である山田の顔も分からなくなっている。

  • 孫の死以降、毎夜悪夢にうなされるようになったらしい。

鈴木(25)

  • 一般採用組。

  • 典型的なオタクだが、刀剣男士たちからは慕われている。

  • 山田の娘の友人で、彼女に好意を抱いていた。

  • 近侍は加州清光。乱れちゃんと仲が良い。童貞。

  • 無類のガンダム好きで、好きな機体はフラッグ。

​●娘の弔い 1

「…娘に自転車の乗り方を教えたのは俺だ」

 

男は言った。彼の頭上には、疲れ果てた雲が漠然と流れている。それは行く宛もなく、色褪せた空を漂う。陰気な空模様が、この上なく馬鹿らしくてならなかった。

 

「箸の持ち方を教えたのも俺だ。字の書き方も教えた。鉄棒も、縄跳びも、俺が教えたんだ」

 

男は空を見上げた。まるでこの世の終焉を見届ける僧侶のような顔をして、目を大きく見開く。彼の目は、餓えた獣のように乾き果てている。けれど決して死んではいなかった。

 

「全部無駄になったよ」

 

紡がれた言の葉は、花を咲かせることはない。悪臭を絶えず匂わせるだけ。それ以上の存在にはならず、虚しく朽ち果てる。

 

そして男は、途方もなく下劣な何かを孕ませて笑う。不気味な笑いだった。まるでそれは、闇の果てより生まれた怪物のように、禍々しくおぞましい。

 

「……無駄にしない為に、貴方はこの本丸に来たのでしょう?」

 

男の傍らにいた長谷部が答えた。異論を許さない断定的な物言いは、ぎらつく刃のようだった。

 

「この本丸は、かつて貴方のお嬢様が治めていました。そして今日から、貴方がこの本丸を治めるのです。これは全て、貴方が望んだ事でしょう?」

 

それは紛れもない事実だった。

 

男は唇を痙攣させる。彼の顔面には、野卑さの対極にあるものが浮かんでいる。表情こそ変化はあったが、彼の顔は人形のように無機質な何かに成り果てた。とても人間らしい表情とは言えなかった。

 

「ああ、その通りだ。娘は名誉の戦死を遂げ、英霊となった。そして俺は、その英霊様の本丸を引き継いだ」

 

「ええ。今日から貴方がこの本丸の主です。おめでとうございます。そして、ようこそ主」

 

長谷部は深々と一礼する。振る舞いこそ丁寧だが、秀麗と称すべき彼の顔は、石のように冷たい。否、石そのものであった。それでもやはり、彼の瞳には獣が住んでいる。もちろん、酔っているわけじゃない。

 

この意味に気付けないほど、男は愚かではない。

 

「君はへし切り長谷部だったか。娘の葬儀には参列していなかったね?」

 

男はいくつか言葉を巡らせ、訊ねる。表情は相変わらずだが、声音は怖気立つほどに静かだった。まるで嵐の前の静けさのようだと、長谷部は思った。

 

「刀剣男士はどのような理由があろうとも、審神者の葬儀には参列出来ません。そういう決まりなのです」

「そいつは幸運だな。あんなもの見なくて良い。気持ち悪すぎて吐くぞ」

「そういうものでしょうか?」

「そうだとも。あれは娘の死を、人間の死を弔う為のものじゃなかった。神を奉る儀式みたいなものだった。実際、そうなんだろうよ」

 

男は吐き捨てるように言い放った。胸ポケットから乱暴に煙草を取り出し、噛み砕くように咥える。物腰は落ち着き払っているが、やはりそれだけにすぎない。男の内心は、その対極に位置しているのだ。

 

「参列者からな、“名誉の戦死、おめでとうございます”と何度も言われた。訳が分からなかった。自分の子供が死んだのに、何が“おめでとう”なんだ?馬鹿にされたのかと思った。役所なんか、“誉れの家”とか書いた変な表札渡してきてな。本当に……ああ、本当に――」

 

男は途中で話を打ち切り、煙草に火を付けた。煙草特有の紙臭い匂いと共に、煙が雲のように立ち上る。

 

しばらく長谷部は、一筋の糸のように流れる煙を、意味もなく眺めた。男の続く言葉を、彼は健気に待っているのだ。しかし男は、それきり何も言わない。ひどく不味そうに、煙を吸い込んで吐き出すだけ。男は無意味とも思えるその行為を、飽きることなく繰り返す。

 

長谷部はそれを、娘への弔いと判断した。

​●娘の弔い 2

疲れ果てた夏の日差しが、男の精神と肉体を蝕む。やつれた肌は水分が足らず、醜く萎む。刻まれた皺は、枯れ木のような哀れさを秘め、その存在を虚しく主張した。四半世紀生きた男の肉体は、何もかもが枯れ果てている。潤すには、全てが手遅れだった。

 

道を失い、導を失い、呆然と闇夜に立ち尽くす男の心は、きっと神すらも救えない。否、手を差しのべられたとしても、彼は拒むだろう。

 

何故なら、憎悪の光を吸い込んだ魂だけが、男という生物の根幹を支えているから。

 

「暑いな」

 

男は忌々しげに呟いた。誰か聞いても分かるほどに、彼の機嫌はすこぶる悪い。肉体を容赦なく溶かしそうな熱気と、豊満としか言いようがない熱風が、この上なく疎ましくてならなかった。気が狂いそうな蝉の声が、暑さをさらに耐えがたいものへと変えていく。煙草すら吸う気になれない。

 

「そりゃ夏だからねぇ」

 

青江は涼しげに、深く響く声で答える。女ならば、子宮の底で受け止める声だった。柳眉を下げて、悩ましげに微笑する。強烈な猛暑だというのに、彼は汗ひとつ流していない。付喪神の性質なのかもしれない。

 

「それに、こんな真っ昼間から出歩くなんて。熱中症になっても知らないよ?」

「他に時間がなかったんだ。嫌なら帰っていい」

「冷たい言い方するなぁ。今日の近侍は僕なんだけれど」

「そうだったな……ああ、そうだった」

 

男は投げ出すように言った。男の表情は険しく、不穏な空気を絶え間なく漂わせている。吐き出す言葉は、どれも力なく気だるげ。五十を過ぎた思慮ぶかい目つきで、遥か彼方を漂う入道雲を見据えている。そんな彼の横顔を、青江は観察するように眺めていた。

 

誰が見ても、彼らが親子や兄弟でないことは明白。彼らの姿は、痛々しいほどに正反対だった。

 

青江の様子は、鉛の靴でも履いているように歩く男とは対照的だった。弾むような、踊っているような軽やかさがあった。連れだって歩く冴えない中年の男、その周囲を人工衛星のように巡っている。蕩けた美貌は熱っぽく上気し、口元には楽しげな微笑がある。

 

「それにしても、一体何処へ行くんだい?」

 

青江は妖気を漂わせ、訊ねた。表情は相変わらずだが、探るような気配を付け加えさせている。疑っているわけではないが、だからといって深い信頼関係があるわけでもない。男が審神者になってからまだ日が浅く、どのような関係を作り上げていくべきか、彼は判断に迷っていた。

 

「俺の娘は、君を現世に連れて行かなかったのか?」

「審神者会議の時に、一度だけ。その時は何処だったかなぁ……覚えてないねぇ」

「それ以外では初めてということか」

「そうだけど。それが何か?」

 

青江はそう言って、意味ありげに首を傾げた。金色の瞳は、酔ったようにしっとりと潤む。湿り気を帯びたそれは、毒花を思わせるほどに禍々しく、美しかった。

 

「そうか」

 

男は青江に一瞥も与えず、漠然と広がる空を見つめている。その瞳は砂漠のように乾き果て、見るも無惨に濁っていた。けれど、奥深い場所で蠢くそれは、決して醜いものではない。

 

青江は目を細め、男の横顔を心行くまで鑑賞する。なかなか良い表情だと思った。先程までの顔と少し趣が異なる。否、一変したと言って良いかもしれない。疲労の陰りはそのままだが、何か、一つのことを考えているのは明らかだった。青江は以前同じものを見たことがあり、また、何を意味するか知っていた。

 

男は死んだ娘のことを思い出しているのだ。それ以外にあるはずもない。

 

「訊きたいこと、あるんじゃないのかい?」

「何を?」

「君のお嬢さん。僕にとっては、前の主について」

 

「……うん。君は俺と娘について、何か思うことがあるよな」

 

ようやく男は、青江に視線を向けた。どういうわけか笑みを浮かべている。飾り気などまるでないそれは、壊れた笑い人形のように無機質で、人間らしさがまるでなかった。

 

「やっぱり気付いてたんだね」

 

青江は一瞬だけ瞼を閉じて、男に答える。森に吹き抜けていく夜風のように、静かな声だった。

 

「何時から気付いていたんだい?出来る限り、隠してはいたんだけれど」

「最初からな。こればかりは、男としての勘が働いたとしか言いようがない。君、その」

 

男はいくつか言葉を思い巡らせ、口ごもった。視線を青江に向けたまま、固まったように動かない。人並みより広い額からは、熱い湯から上がったように汗が流れていた。けれど瞳は乾いたままで、その下にはうっすらと隈がある。まるで、男の歩んできた人生を物語っているようにも見え、青江は一瞬躊躇する。

 

「……娘とはどういう関係だった?」

 

男は顔面の筋肉を凍り付かせて、訊ねた。口調はひどくぞんざいで、白々しい。

 

「俺の考える通りの関係なのか?」

「それはちょっと違うかなぁ。確かに君のお嬢さんは、僕に特別な感情を抱いていたね。といっても、僕はそれに応えなかった」

「娘に興味がなかったのか」

「そうじゃないよ」 

 

青江は首を横に振った。深緑の艶やかな髪がさざ波のように揺れて、額に落ちる。彼はそれを、色っぽい手つきでかきあげる。その柔らかな髪の感触を愉しみながら、苦笑した。男を挑発しているわけではない。それはひどく辛そうな笑いだった。

 

「好きという感情が、僕には分からなくてね。主としては嫌いじゃなかったし、信頼もしていたよ。でもそれ以上の感情が分からなかった。だからお嬢さんの想いには、応えることが出来なかった」

 

「付喪神というのは、そういうものなのか。君達は人々の想いから生まれたのだろう?」

「たまたま僕が分からないだけだ。主と付喪神が特別な関係になるというのは、珍しいことじゃない。上手くいけば、子宝にも恵まれるらしいね。でも僕はそういう付喪神じゃないんだ」

「……なるほどな」

 

男は煙草をくわえ、まるで聖火でも灯すように、火を点けた。煙をゆっくりと吸い込み、味わい尽くす。煙草を楽しむ気分ではなかったが、他にすることが何一つ思い当たらない。

 

「教えてくれて、ありがとう」

 

男は言葉とは裏腹な表情を浮かべている。といっても、特徴がまるでない顔立ちに、感情をうかがわせるものは殆どない。有り体に言って、男は美男ではない。整ってはいるが彫りは浅く、異常に印象が弱い。あとになって思い出せない類いの顔。そうであるが故に、男を形成する何もかもが、歪なものに思えた。

 

「それはどういう意味かな?」

「言葉通りの意味だ。俺の娘といえど、前の主について話すことは禁じられているだろう?」

「あくまでそれは、本丸内での決まりだから。ああ、でも口止め料が欲しいな」

「抜け目ないな。何が欲しい?」

「煙草が欲しいねぇ」

 

青江は暇をもて余す家政婦のような何気なさで言った。男は肩をすくめて、懐から煙草をおさめた箱ごと彼に手渡す。高くもないが、安くもないそれは、昔かあるロングセラーの銘柄だった。

 

「ありがとう」

 

青江は頷いてみせた。この煙草に覚えがあった為、眉が微かに痙攣する。これは男の娘が、好んで吸っていた煙草だった。

 

「少し意外だった。君は僕を嫌っていると思っていたからね」

「失礼だぜ、その言いぐさは。いや、あながち間違ってはないな。君と娘がそういう関係だったら、俺は許せなくなっていた。いや、違うな……その気もないのに、深い関係になっていたら、たぶん俺は君を刀解していた」

 

「正直だね、君は。でも嫌いじゃないねぇ」

 

青江は煙草を唇の上で転がして、弄ぶようにくわえた。懐かしい香りを楽しみながら、火をつける。やはりそれなりに旨かった。

 

「本丸によっては、僕らを夜伽として扱う審神者もいるんだ。もちろん、任務としてね」

「任務で誰かと寝るなど、娼婦よりも遥かに虚しいな」

「さあ、僕にはちょっと分からないんだよねぇ。そういう気分になったことがなくて」

「そいつは羨ましい限りだ」

 

男は紫煙を吐きながら答えたが、それきり何も言うことはなかった。青江は男の続く言葉を待っていたが、彼が何も言わずにいると、諦めたように黙って煙草を吸った。青江の顔には、哀しみに近いものがあらわれていた。

​●娘の弔い 3

灰色に覆われた空の下に広がっているのは、枯れ果てた大地と、その上で幾重にも重なる雪の亡骸だった。天候はすこぶる悪く、吹雪に見舞われていつ倒れるかもわからない。そのせいか視界も徐々に低下し、頭上から差し込む陽光の僅かな気配しか感じ取れない。

 

そんな雪原の片隅に、針葉樹の林が息を潜めるように存在していた。その林の奥で、刃を研ぎ澄ます集団がうごめいていた。

 

「――にっかり青江が敵を視認しました。北北西、距離は最長で10キロ。最短8キロといったところでしょう」

 

山田は淡々と報告した。にっかり青江とは、審神者である彼の近侍であり、第一部隊偵察員のことだった。偵察を終えたばかりの青江も、当然のように彼の傍らにいる。

 

彼らは今、林に設けられた巨大なテントの中にいる。決して快適ではないものの、真冬の寒と対峙するよりは、はるかにましだと思っている。そしてなにより、このテントの内部はしっかりと暖められていた。火を用いているわけではない。もう一人の、優れた審神者の術によるものだった。

 

「どれくらいで確認出来るのです?」

 

もう一人の審神者――伊集院と呼ばれる中年の女が山田に訊ねる。彼女の視線は、机の上に広げられた地図に向けられていた。その姿は、女としての魅力を完璧に備えた美女そのもので、賞賛するより他はなかった。といっても山田は、伊集院を女として見たことはない。それは伊集院も同じだった。

 

山田という中年の男には、外見的魅力が何一つない。適度に整ってはいるが、顔の彫りが異常に浅く、それを装飾する道具には個性というものがない。あとになって思い出せない類いの容姿である。ならば服装に救いがあるかと思えば、そういうわけでもなかった。

 

審神者の玄人である伊集院から見て、山田が身に纏う服は異質でしかない。

 

まず目に入るのは、黄色を貴重とした安全ヘルメットである。安全第一と記されたそれを頭に装着し、外れないようにベルトできつく固定されていた。土木専門の作業服店で購入したと思われる防寒コートは、見るからに安物でくたびれている。その下に着ているものは、薄茶色の作業服だった。

 

山田の格好は、建設現場を視察するサラリーマンのそれである。

 

「せいぜい30分ぐらいだと、にっかりは言っています」

 

山田は折り畳み式の椅子に座りながら、答えた。服装など気にも留めず、うっすらと赤く腫れた頬を掻いている。

 

「丸見えだったよ。うん、最短で30分ってところかな。1時間は掛からないと思うねぇ」

 

青江はそう言って、艶かしい笑みを浮かべてみせた。甘く芳しい濃密な何かを、匂いのように絶え間なく漂わせ、悩ましげに息を吐き出す。山田はそれを全て無視し、片眉を微かに上げて話を続けた。

 

「伊集院様、今現在の積雪量を考慮しますと、いかな遡行軍も雪で脚をとられることでしょう。しかし、最短30分と考えますと――」

「それくらい分かっています、山田さん」 

 

伊集院は面白くなさげに答えた。彼女は山田よりふたつほど年下だが、彼らの上下関係はその反対に位置している。伊集院は、優秀な審神者を輩出する名家の三女であった。山田との関係は決して良好ではなく、事務的な言葉しか交わさない。

 

その理由は、山田の人間性だけでなく育ちにもあった。彼は審神者に就任してから日が浅く、以前はサラリーマンをしていたという。それ以外にこれといった特徴はない。否、それどころではない。山田という男を形成する何もかもが、無個性なのだ。

 

伊集院は、山田の経歴について頭を巡らした。

 

容姿、学歴、収入、その全てにおいて中流であり、並であり、平凡。

 

山田は大学(有名どころではない)を卒業後、そのまま建設会社(これも有名どころではない)に就職。周囲を驚かせるような専門知識もなく、営業をしていたという。営業の成績は悪くもないが、良くもない。害にもならないが、かといって役に立つわけでもない。上司からは毒にも薬にもならないと嫌味を言われていたほどらしく、出世には縁がなかった。

 

山田はそれを不服と思ったことはないという。多くを望まない、それが彼の特徴であり、唯一の個性であった。

 

しかし何事にも例外がある。

 

人並みであり続けた山田が、その世界から離脱して、審神者の世界に足を踏み入れた理由はそこにあった。そしてその例外こそが、伊集院に言い知れぬ不快感を与えている。

 

山田の亡き娘は審神者だった。そして、遡行軍との戦闘で名誉の戦死を遂げている。山田が審神者に就任したのは、それからすぐの事だった。

 

伊集院はこの手の審神者を星の数ほど見てきた、親兄弟を殺され、復讐心に駆られて審神者になる者達。名だたる審神者の名家として生きる伊集院からすれば、それは邪道というより他ならなかった。

 

彼女は幼き頃より審神者としての鍛練を積み、今の地位を築き上げてきた。その努力に確信抱いているからこそ、彼女は邪道に位置する者達に不快感を感じている。

 

審神者が慢性的に不足しているとはいえ、審神者としての信念なき者達を容易く就任させてしまう政府に、不信感を抱いているのだ。

 

「もう一度偵察を出します」

 

伊集院は命じた。 どこまでも冷たく、愛人の抱擁さえはねのけるような口ぶりだった。

 

「伊集院様、それは危険です」

 

山田はおそろしく淡白な口調で、応じた。表情は石のように強ばっており、感情が何一つ読み取れない。

 

「それに意味がないと思われます。遡行軍の位置はさきほどご報告したとおりです。この雪では、一度遡行軍と接触してしまえば、逃げるのは至難の技でしょう。何より、こちらの規模を知られるのは――」

「にっかり青江の偵察力は、よく存じております。同刀種内では単独トップを誇り、夜目も効きます。しかし100%ではありません。であるのに、よくそのような自信をお持ちになれますね?」

「見つけたのは“私の”にっかり青江ですから」

 

山田はさっと答えた。表情は相変わらず能面のそれに近い。しかし彼の乾いた瞳には、鋼のように硬い冷酷さと傲慢さが宿っている。

 

この男、と伊集院は眉を潜めた。この男、何かとても、嫌なもの感じる。

 

「ならば私が行きましょう」

 

伊集院は吐き捨てるように言うや否や、勢いよく立ち上がった。

 

「“私の”和泉守兼定を連れていきます。彼はとっくの昔に極になっておりますから。偵察力において、貴方のにっかり青江より正確だと思いますわ」

「いつ頃お戻りになるのです?」

「1時間以内には戻ります」

「……分かりました。その間、指揮の代行をします。どうかご武運を」

 

山田はいくつか言葉を思い巡らせるように、適当な言葉を口にした。まるでそれは、働き疲れた年輩の清掃員のようで、どこからともなく陰りが滲み出ている。伊集院を理想の審神者とするならば、山田はその対極に位置していた。であるからこそ伊集院は不快感に耐えきれなくなり、テントを後にしてしまう。

 

山田達は生ゴミのように、その場に放置された。

 

「――お堅い審神者さんだねぇ」

 

青江はゆっくりと口を開いた。彼は時間を弄ぶように、艶やかな髪に指を絡ませてなぶっている。物憂げな瞳は美しいものの、どこか寂しげだった。そこに潜む不可思議な何かが、妖しげに煌めく。

 

「当然の反応だな。彼女は正規の教育を受けた審神者の玄人。対して俺は中途採用の素人。そんな玄人審神者様が、素人審神者の話を聞き入れる方が不自然だ」

 

山田はため息を漏らして、大きく伸びをした。伊集院が必要以上に審神者らしく振る舞う理由が、全て自分にあることを理解している。ある意味、彼女なりの防衛反応だと山田は判断している。この手の上司は、飽きるほど見てきた。そして、嫌というほど酷使された。だからこそ彼は、どこまでも冷静に理性を働かせることが出来た。

 

「危機的な状況に陥れば陥るほど、人は情報を求め欲する。しかし厄介なことに、どれほどの情報があっても信用出来ず、いつまでも追い求める。マスメディアが疎まれながらも消えないのは、そういうところもあるんだろうさ」

「ますめ……何だいそれは?」

「要するに彼女は働き慣れていない、ということだ。時間に限りがある際、情報収集は必要最低限にとどめておくべきなんだよ。短時間でまともな情報が手に入るわけもないし、仕事が増えるだけだ。おまけにこの職場は、慢性的に人手不足だからな」

「彼女は玄人なんだろう?それが分からないってのは、少しおかしな話じゃないかい?」

「審神者としての能力、技術は一級品だろうよ。ただそれを重視するあまり、他のことに手が回らなかったんだろう。審神者は専門職みたいなものだから。彼女に不足している部分を、刀剣達が補っているんじゃないのか」

「それは良い本丸じゃないか」

「……ああ、良い本丸だな」

 

山田はそれ以上感想を口にすることはなかった。青江は伺うように視線を向けていたが、山田はそれを無視している。このにっかり青江は、人間の感情について理解していないところがある。だからこそ青江は、伊集院の致命的な部分に気づけなかった。

 

努力を重ねて今ある地位を築き上げた人間ほど、他者の才能や能力を潰そうとする。例えそれが、味方であったとしても。

 

伊集院はその典型的なタイプといえた。

 

伊集院の誇りは、努力によるところが大きい。頭の回転も良く、生真面目ともいえた。であるからこそ自身の能力の限界に気付いており、それに強いコンプレックスを抱いている。

 

伊集院には二人の姉がおり、その評判は山田の耳にも届いていた。二人とも才能に溢れ、審神者界では一二を争う手練れだと聞いている。そんな姉たちと常に比較されていたのだから、彼女のコンプレックスは計り知れない。

 

この手の人間とは出来るだけ近付かず、距離を置く方が良い。コンプレックスが刺激されれば、味方だろうと容赦なく襲い掛かる。やむを得ず接触しなければならない時は、相手を安心させてやるしかない。それにはある程度割り切る精神力が必要になってくる。

 

かつての山田ならば、そうして相手の心を静めただろう。それだけの必要があり、それだけの理由が彼にはあったから。しかし今の彼には、そんなものは何一つない。

 

「……じゃあ俺達は1時間待つとするか」

「本当に1時間も待つのかい?遡行軍は30分でやってくるのに」

「上司の命令だからな。……そのつもりで準備するしかあるまい」

「はいはい」

 

青江は困ったような顔をする。彼なりに不満というものがあるらしい。否、当然と言えば当然なのだろう。全ての皺寄せは、山田や伊集院ではなく、青江のような刀剣達にいくのだから。

​●娘の弔い 4

はるか彼方の月夜の底で、影ぼうしが冷ややかに、男の姿をうつろ見て笑う。

 

青白い瞳からは、絶えず、香気のような光がしみじみと漂っている。それは美しい幻影となって、男の心へと流れ込んでいく。

 

「はは、またお前か」

 

夢と現のたわむれを、男は光のように仰ぎ見て笑う。複雑な、あまりにも複雑な苦笑を彼は浮かべていた。枯れ果てた匂いをひっそりと漂わせ、悲しみに沈む。

 

「毎日毎日、ご苦労なことだ」

 

男は小机の上に置かれていた酒瓶を取り上げた。水晶碗を手にして、酒を注いだ。色あざやかに光輝く酒を、彼は一息で飲み干す。熱っぽい息を吐き出して、目を細める。飲み足りない気がして、もう一杯飲んだ。

 

するとその時、艶かしい声がねっとりと部屋に響きわたる。

 

「おやおや、ちょっと呑みすぎじゃないのかい?」

 

男は窓の外から視線を逸らして、吸い寄せられるように、後ろを振りかえった。

 

「お酒は控えるようにって、長谷部くんに怒られたばかりだろう?」

 

男は方眉をあげた。陽光の輝きと、闇の淀みを同時に見たような顔をして、声の主を呼ぶ。

 

「にっかりか…」

「やれやれ、少しは驚いてくれたって良いじゃないか」

 

にっかり青江は男をやさしく睨み付け、女のように忍び笑った。彼はひどく淫らな声を弾ませて、ため息を漏らす。まるで情人のようだが、青江は男のそれではなかった。女たちを虜にするだろう彼の美貌には、冷ややかな光があった。

 

男は下唇を爪で掻いた。

 

「……こんな真夜中に何をしている?」

「それは僕の台詞だよ。夜更しできるほど、君は若くないだろう?」

「それもそうだな」

 

男は空になった水晶碗を、ゆっくりと指で弾いた。澄んだ音が闇夜に吸い込まれ、消えていく。美しい音のわりには、どこか醜さすらあった。男の太い指が、わずかに痙攣する。

 

「眠れなくなったなら、子守唄をうたってあげなくもないよ?」

 

青江は気づかぬふりをして、冗談めいた言葉を口にする。睦言のようでさえあった。実際はそうではないのだが、わざわざそれを口にすることはない。そういった類いの趣味を、青江は持ち合わせていなかった。

 

「それか……そうだねぇ、君と一緒にお酒を呑んであげなくもない」

「目的はそれか」

「んふふっ、君のことを慰めてあげたいだけだよ。そう、朝までゆっくりとね?」

 

青江の整った顔には、夜風を思わせる静けさと、溶けるような熱っぽさがあった。とろけるような美貌に、妖艶とした気配を付け加えて、そっと囁く。女を喰らうためにつくられたような唇が、なまかしく濡れていた。

 

「それで俺の娘を虜にしたのか」

 

男は眉をひそめて、きつく漏らした。彼の顔に刻み込まれた皺が、みにくく歪む。自分でもおどろくほど、感情が高ぶっていた。

 

「君のお嬢さんほど、僕らを大切にしてくれた人はいないよ。君でさえ、最初のうちは苦労していただろう」

 

青江は子供のような顔をして応えた。小机に置かれていたもうひとつの水晶碗を手にして、息を吹きかける。それから酒瓶を手にとって、彼は男の水晶碗に酒を注いだ。

 

「正直、不思議なくらいだった。僕らのような存在は、時代によっては忌むべきものであり、呪うべきものだからね。彼女はあっさりと、僕らを信じ、そして味方でいてくれた。感謝しているんだ。……亡くなった今でも、ね」

 

「娘はきみに惚れていた。それはきみも分かっていただろう?」

「君のお嬢さんは、……いや、前の主は、見かけで判断する人ではないよ。どうして僕に、特別な感情を抱いたかは分からないけど」

「……すまない。今俺は、きみを見かけで判断していた。謝る、悪かった。間違ってさえいた」

 

男は謝罪した。感情の含まれない、その内容どおりの言葉だった。彼は父親ではなく、審神者として青江に謝罪する。そうするだけの理由と罪があると、男は信じていたからだった。

 

「いや、気にしないでくれ。僕こそ無粋だった。せっかくのお酒が不味くなってしまったね」

 

青江は自分の水晶碗に酒を注いだ。二口ほど呑んでから、心から嬉しげに息を漏らした。

 

「これ、すごく美味しいねぇ。どうしたんだい?」

「結婚記念日用の酒だ。といっても妻とは別居中だから、俺だけで呑むことにした」

「君、悪い人だねぇ……こういうことしちゃダメじゃないか」

 

青江は男を叱った。といっても彼の顔は、悪戯をたのしんでいるようだった。満月を溶かしたような瞳を、しっとりと潤ませて、男を見つめる。まだ酔っているわけでもないのに、青江はひどく色気付いていた。

 

「だからこうして、真夜中に呑んでるんだ」

「嘘だろ、それ……そういう風には見えなかったけど」

 

青江は男の胸のあたりを眺めながら、つけくわえるように呟いた。彼は暇をもてあそぶように、服についた皺を伸ばす。声も表情も柔らかくなっている。

 

男は遠慮がちに青江を見返した。

 

「ああ、嘘だ」

「んふふっ、だと思ったよ。それで、本当は何をしていたんだい?」

「……少し、窓の外をな」

 

男はぐっと水晶碗を空け、もう一杯注いだ。枯れ果てた匂いを漂わせる顔に、内心をうかがわせるものはあらわれていない。しかし、相貌に浮かぶものはひどく暗い。

 

青江はかすかに眉を動かした。粘っこく艷のある瞳で、窓の外に視線を向ける。

 

そこには闇をまとう夜の世界が、目ざとくきらめいていた。それは暗い陰鬱さの中から、幽霊のような光を灯して、青ざめた幻をただよわせている。

 

「……これは娘がまだ子どもだった頃の話だ」

 

男は小さく咳を漏らし、静かに言った。その声は乾き果てた砂漠のように、どこまでも虚しいなにかを孕ませている。男の声、そこに含まれるものを理解した青江は、ただじっと彼を見つめた。

 

男の瞳には、追いつめられた野獣のような光が宿っている。否、野獣そのものだった。

 

「娘には幼なじみがいた。年は娘より、ひとつか二つ年上だった。優しい少年だった。勉強とスポーツが得意で、面倒見が良かった。娘は彼のことが大好きで、いつも嬉しそうに彼と遊んでいた。彼がどうなったと思う?」

 

男の顔に、皮肉や諦めといったものすら突き抜けたような表情が浮かんだ。彼の肌は不気味なほど青ざめ、身体中が冷汗でぬれている。

 

青江は男の言葉を待った。自分らしくないといえば、自分らしくなかった。そうしなければならないのだという強烈なおもいに導かれた行動である。

 

「死んだんだ。マンションの屋上から落ちて」

 

男は言った。青江の顔を見ようとせず、天井を見上げる。ある意味、彼の自宅がある方角を確認しているのだった。

 

彼は昨日のことを思い出すように、話を続けた。

 

「ある日のことだった。娘と彼はマンションの屋上に忍び込んだ。ほんのいたずら心だったんだろう。大人の目を盗んで、二人は屋上で遊んでいたらしい。眺めが良いからと、彼は屋上のフェンスをのぼってしまった。そして足を滑らせ、屋上から転落した。たぶん即死だ。7階から落ちたんだ。そうに違いない。マンションの管理人が、すぐに救急車を呼んでくれた。彼の母親も呼ばれたが、全て手遅れだった」

 

男は天井を見つめたまま、冷えきった太い指を握りしめる。その表情は、複雑どころではない。ぐちゃぐちゃにひび割れた鏡のような醜さが、青江の心に語りかける。

 

青江は浅い呼吸を繰り返して、そっとたずねた。

 

「お嬢さんは悪くない。そして君にも罪はない。……なぜ、その話を僕に?」

「悪くない、悪くないだと?ああ、そうだ、そうなんだよ。いくら嘆いたところで、いくら後悔したところで、彼の死を受け入れるしない。俺もそう思った。だから娘にもそう言い聞かせた。泣きじゃくる娘の悲しみを受け止めることもせず、お前は悪くないと言い聞かせ続けた」

「それでどうなったの?」

「俺も娘も、彼のことを忘れた。今の今まで思い出すこともしなかった。それが間違いだった。にっかり、きみは妻子の幽霊を斬ったんだろう?」

「にっかりと笑う女の幽霊を、ばっさりと斬り捨てたねぇ。それが今の話と、何か関係があるのかな?」

「……彼の葬儀が終わったあと、彼の母親がおかしくなった。毎夜、息子を探し求めて徘徊するようになった。息子がそこにいると、いつも言っていた。笑いながら俺に話した。だから、だからなんだよ。俺はもっと彼女の話を聞くべきだった。……おかしくなったと片付けて、全てをうやむやにするべきじゃなかった。今やっと、俺は彼女のことを理解した……」

 

そこまで口にして、男は黙りこんだ。呪いにも似たなにかについて触れてしまったからだ。彼の声は執拗だった。まるで世界の終焉を目にした僧侶のような顔をして、天井から目を逸らす。

 

男は窓の外を眺めた。はるか遠い月夜の底で、影ぼうしが戯れるようにおどっている。その姿を、彼は悲しげに見つめる。

 

「君にもお嬢さんの姿が見えているのかい?」

 

青江は抑えた声で訊ねた。音をたてず酒を飲みほして、目を細める。男の視線の先、その果てにあるものについて、なにかを思い付きかけた。しかしそのあやふやな気分は、男の張りつめた表情に気付き、何も言えなくなった。

 

「毎夜、俺の前に現れる。どういうわけか、子供の姿をしているんだ。とても楽しそうに笑っている。きみには見えるか」

「いや、僕には見えないねぇ。少なくとも、幽霊ではない」

「やはりそうか……これは何だろうな」

「君が望んでいるもの、とでもいうべきだろうねぇ。僕からはそうとしか言えない」

「そうか、そうだよな」

 

男は言った。我知らず、声が荒々しくなっている。彼が懸命に、複雑に絡み合った感情をどうにかしようと努力しているのが青江には分かった。

 

青江はそれについて思いを巡らせながら、目を伏せる。以前、同じ光景を目にしたことがあった。

 

今は亡き男の娘、つまり彼にとっては前の主にあたる女の顔が、頭を過る。彼女は泣いていた。理由は分からない。複雑に絡み合った感情をどうにかしようと、子供のように泣きじゃくっていた。

 

自虐的な思いが、痛みのように沸いてくる。

 

「力になれなくて、ごめんね」

「きみを責めているわけじゃない。分かっていた、気づいていた。……気づかずにいられるものか」

 

男の手が拳を握り、青い筋が浮き上がっていた。青江はどこまでも優しく、その手をそっと抑える。彼の手は死人のように冷たく、無機質な何かを潜ませいた。

 

「今夜ばかりは、君を寝かせてあげられないな」

 

青江の瞳には、深い憂慮の色だけがあった。

​●娘の弔い 5

……幻は声も形もなく、無言のまま横たわっている。

 

体が溶けるほどの素晴らしい幸福を味わいつくすように、山田は顔を上げた。これを幻と称するには、何もかもが完璧すぎた。

 

目の前に広がる食卓は、痛々しいまでに賑やかだった。

 

妻と娘が今宵の話題を持ちだし、笑いをとったり感心させようとしている。彼らの笑い声が、弾むように部屋に響きわたる。その度に山田の心臓が、凍えるようにふるえた。

 

夕食のメインデイッシュは、妻の得意技、麻婆豆腐だった。ほんのりと酸味があって、食べれば食べるほど食欲をそそる。ほどよく崩れた豆腐と、適度なとろみ、歯応えのあるひき肉。文句のつけようがない。

 

家族はそれを、ひどくうまそうに平らげている。娘は麻婆豆腐をよほど気に入ったのか、むしゃむしゃと馬のように食べ続けている。

 

そんな娘を見るたび、山田の尖った喉仏がピクリと動いた。まるで独立した生き物のように、いつまでうごめいている。

 

「あなたどうしたの?」

 

麦茶と夕飯を口にしながら、妻が訊ねた。妻の瞳が、流星のように光っては消える。山田は妻の意味をはかりかねたが、少し考えながらこたえた。

 

「……いや、なんでもない」

「そう。ならはやく食べちゃって?」

「ああ」

 

山田はみそ汁に箸をつっこみ、かき回した。すると二層にわかれていた汁が入り混じり、具の絹ごし豆腐が浮いたり沈んだりした。どういうわけか口の中が乾燥し、ヒリヒリと痛みを感じる。舌は熱を持っており、喉は不快なほど粘ついていた。

 

「あなた、行儀が悪いわよ」

「ああ、すまん」

 

山田はうなずく。思わず箸を置いてしまった。何を言ったら良いのか分からない。血圧が高まったせいか、頭が割れてしまいそうなほどの痛みが走った。

 

「お父さんどうしたの?」

 

娘が心配そうに訊ねてきた。そんな娘の姿を、山田は感情の失せた目で見つめた。

 

喜ぶべきか、悲しむべきか、彼には分からなかった。

 

夢にまで見た娘の姿が、光のように神々しい何かに思えてならない。とすればやはり、喜ぶべきことなのだろう。子供のように浅ましく泣いて、娘を抱きしめてしまえば良い。だが、それが出来ない。本能と称するべき何かが、その全てを拒むのだ。

 

耳障りな音が、山田の脳内で反響した。

 

「お父さん?」

 

娘は戸惑った表情を浮かべている。

 

そんな彼女を目にした瞬間、自分でも説明のつかない激情に山田は包まれた。どうしてそうなってしまうのか、理由は分からない。しかしその源泉がどこにあるのか、ぼんやりとではあるものの、分かっている気がした。

 

その時、山田の脳裏にさまざな情景が浮かんだ。

 

ただ漠然と、平凡で面白味のない人生を歩む自分と、冴えない夫の尻をたたく生活に飽きた妻の姿だった。いささかお互いに疲れた二人も、娘に関わる事柄であれば力の限りを尽くした。

 

山田も妻も、わが子を愛することだけに安らぎを見いだしていた。

 

突然、すべてが消え去った。

 

「ねぇ、お父さん?」

 

娘が不安げにつぶやいた。山田はもう一度、娘を見つめなおした。

 

そこにいるのは娘だった。

自分がこの世で一番愛しくおもっている娘だ。

 

だから、だからなのだ。

娘の前でだけは、自分は絶対に率直であらねばならないのだ。

 

彼はまるで祈るように、両手を胸の前で握り合わせた。

 

「お前は誰だ?」

 

山田はこの段階になってはじめて、人間らしい言葉を発した。おどろくほど静かで、そして冷ややかな声だった。その声まるで、壊れたラジオのような無機質さを宿しており、聞くものを震え上がらせてしまうほどの力があった。

 

「聞こえなかったか、お前は誰だ?

「お父さん、何言ってるの?

「そうか、答える気はないか

「だからお父さん何を」

 

山田は顔面の筋肉を凍りつかせたまま、娘の腹へと拳をめり込ませた。拳に鋭い衝撃が走り、視界がぐらりと揺れる。まるで津波に飲み込まれるような気分だった。少しずつ、しかし確実に、全身から力が抜けていく。自分が立っているのか、寝ているのか分からない。

 

山田が膝を折らなかったのは、浅ましい見栄でしかなく、それ以上の意味などなかった。

 

「おとう……さん……痛いよ……」

 

体を折って苦悶する娘の耳に聞こえたのは、さきほどと変わらない静かな、そしてどこまでも丁寧な声だった。

 

「お前は誰だ。悪いが、三度はたずねない」

 

「な、何言ってるの……私は……お父さんの……」

「娘は死んだ。お前のやっていることは、火に油を注いでいるだけだ」

 

山田は瞼をとじた。

 

娘は死んだ。18の時、家を飛び出して審神者になった。そして5年後、娘は誰にも看取られず死んだ。否、ちがう。殺されたのだ。時間遡行軍に取り囲まれ、あっさりと殺された。まるで虫ケラのように、娘は殺されたのだ。

 

どれだけ願っても、どれだけ祈っても、どれだけ尽くしても、娘は生き返りなどしない。それどころか、英霊などというふざけた存在として奉られてた。人間として死ぬことも、弔われることも許されなかった。

 

これ以上の屈辱があるだろうか。

 

「消えろ」

 

山田の表情は相変わらずだった。どこまでも禍々しく、そして途方もなく異質であった。これといった特徴のない唇が、この世の全てをあざ笑うがごとく歪められていた。

 

その地の奥底よりもさらに暗い狂気は、娘の姿をした何者かに向けられている。

 

山田の瞳はどこまでも冷たかった。同時に、おそろしさを覚えるほど狂った光があった。必要なことをなすためであれば、どんな悪行にも手を染める男の瞳。

 

「…………」

 

ソレは、何も答えることはなかった。言の葉を紡ぐことなく、恨めしそうに山田を睨み付けている。その表情には、感情らしい感情は全く見受けられない。機械的なものを含ませたその顔は、何もかもが薄気味悪かった。

 

そして彼女は、まるで何かの義務であるかのように、懐から剣をとり出した。その刃の美しさが、山田の理性を消し去ろうとしている。残された本能だけが、彼の全てを支えるために、狂ったように機能し続けていた。

 

山田は苦笑した。

 

「止めておいたほうが良い。君は任務に失敗したんだ。大人なしく降伏しておけ。今なら、戦時法も適用される。捕虜として、必要最低限の人権は守られる……君が人間でないなら、別の話だな」

 

山田は忌々しげに息を吐き出して、煙草をくわえた。口元に痙攣のような微笑を浮かべている。彼の瞳は乾き果てている。しかし白目には、白い部分など見つけるのが難しいほどに血の筋が生じていた。

 

「降伏する気はないのか。ああ、せめて名前だけでも聞いておきたいんだが……ご両親に悔状ぐらいは送った方が良いだろう……まあ、人間じゃないなら関係ないか」

 

ソレは獣のようなうめき声を上げて、一歩進み出た。

 

山田はため息のように呟いた。

 

「にっかり、こいつを斬れ」

「はいはい」

 

場違いなほど艶かしい声が、ねっとりと響き渡った。それは香りの戦慄だった。どんな香水よりも甘くて、どんな麻薬よりも危険な何かが、ゆるやかに重なりあって、空中へと溶ける。

 

その刹那、全てが終わりを迎えた。

 

ソレは生涯の終わりに、ひっそりと背後に近づき、主の命令を待っていた“にっかり青江”の楽しげな笑い声を耳にした。

 

「笑いなよ、にっかりと」

 

ほとんど痛みを感じずに絶命出来たのは、幸運というほかなかった。

 

×××

 

「意外とあっさり夢だと気付いたんだねぇ。まぁ、君みたいな人が惑わされるはずもないよね」

 

全てを終えた青江は言った。眉目秀麗な面立ちに鋭いものがあらわれていた。探るような、それでいて心配するような態度だった。

 

「こんな親父を夢になんぞ閉じ込めて、何がしたかったんだろうな」

 

山田はぶっきらぼうに答えた。肉の塊と成りはてたソレを、意味もなく見つめながら、彼はため息をもらした。

 

幻術についての知識なんてなかったが、時間を遡る術があるのだから、驚くほどのことではなかった。そういった類いの術者が数多くいることは、山田も知っていた。

 

「コイツの正体は分からないが、よりにもよって娘の幻術とはな……ああ畜生、とんでもない大バカ野郎だ」

「それはお疲れさま。……あーあ、せっかく助けに来たのに。ちょっとつまらなかったな」

 

青江はそう言って、ひどく退屈そうに欠伸をした。溶けるような美貌に、妖艶とした気配をつけ加えて、彼は笑みを浮かべる。

 

「君が女の子だったら、僕が口付けを与えて目を覚まさせる……なんてことがあったのかも」

「おいおい勘弁してくれ、俺にそっちの趣味はないぜ」

 

山田は周囲を見回し、ゆっくりとうなずいた。憑物が落ちたような気分になっている。彼は暇を弄ぶように、二本目のタバコをくわえた。

 

しかし不思議なことに、タバコの味を感じなかった。

​●娘の弔い 6

山田は孤立していた。

 

いまや此処は、戦の庭にほかならない。

 

純粋な暴力と破壊が、睦言のように絡み合っている。地軸を揺らすような戦闘の轟音。空を切り裂くような戦闘の騒音。

 

純粋な憎悪の情景が、山田の世界を侵食していく。

 

「主!」

 

その中心から、にっかり青江の声が響きわたった。

 

「主、どこだい!?僕はここだ!ねぇ、主!」

 

距離は決して遠くないはずだった。しかし山田は、青江の呼びかけにこたえない。否、こたえられなかったのだ。山田が逃げこんだ森は、憎悪と殺意に満ちあふれていた。

 

目の前にはその証拠がある。刀装兵たちの遺体だ。彼らは遡行軍の攻撃をうけて瀕死の状態でありながらも、山田をこの森に逃れさせ、力尽きたのである。

 

彼らが死ななければならなかった理由はひとつだけだ。

 

誇り高き兵士として、主君を守ったのである。山田を守るために、死んだのだ。

 

「主!」

「……っ!」

 

青江の呼び声を耳にしながら、山田は微動だに出来ない。彼は今、盾にした大樹の幹にすがりついている。

 

身体中がおかしかった。

 

腹のそこまで凍えるような冷たさと、頬が燃えるような熱さが同時に襲いかかってきた。

 

心臓が独立した生きものように、猛烈な速さで動いているのが分かる。いつ破裂してもおかしくない。浅く、速い呼吸しかできない。今にも酸欠しそうだった。

 

記憶と意識が衝突する。しかし何も考えることが出来ない。考えようとすると、胃が嫌になるほど引き絞られ、強烈な吐き気がつきあげてくる。

 

「畜生っ、この、この野郎っ……」

 

山田は呻いた。彼の表情は異常なまでに張りつめている。

 

すべての筋肉がクラゲにかわってしまったように、どこにも力が入らなかった。肉体は頑なに、山田の意思を拒んでいる。足を踏み出すことすらできない。

 

山田は思っていた。

 

この糞ったれのキャベツ野郎。歩くことすら出来ない臆病者め。こんなふざけた馬鹿野郎の為に、一体どれだけの兵が死んだのだ。糞、己でなければ殺したくなるほどの愚か者だ。しかしだからこそ、俺はまだ死ねない。ああ本当に、ふざけている、ふざけているとも。

 

俺はこんなときですら、娘のことしか考えていないのだから。

 

……とにかく、とにかく今は逃れよう。にっかりのもとへ行こう。

 

しかしそう思うだけで、膝から力が抜けていく。するとその時、座り込んだ山田の手が、硬いものに触れた。喉の奥からわけの分からない唸りを発しつつ、彼はそれを掴んだ。

 

刀の柄だった。山田を守って死んだ刀装兵が手にしていた刀。本能的に、彼はしっかりと握りしめた。

 

すべてが狂ったこの戦場で、刀の感触は彼に精神安定剤のような効果をおよぼした。絶対的な力の誘惑が、体の奥までしみこんでいく。

 

周囲では遡行軍の銃声、咆哮、悲鳴、罵声で編成された戦場音楽が、神経を引きちぎるような、それでいて見事に溶けあった協和音を奏で続けていた。

 

同時に青江の声も、それらに混ざり合わさる形で聞こえてきた。

 

「主!主!どこにいるんだい!?……ああもう、本当に鬱陶しいねぇ……石灯籠みたいに斬ってやろうかなぁっ!」

 

これはチャンスなのかもしれない。山田の脳がささやいた。それは幻のような甘さを宿して、彼を誘惑する。

 

敵は決して優勢じゃない。優勢なのは間違えなく俺の部隊。だからこそ敵は焦っているのだ。このまま俺を見つけることが出来なければ、全滅するのは奴らなのだから。奴らにとって時間は敵なのだ。いま、その時間が尽きようとしている。

 

だからこうして、にっかりの声も聞こえるのだ。

 

山田は押し殺した唸りを漏らし、そのことだけを思った。

 

いけるか、いけるのか。大丈夫か、大丈夫なのか。なんとかなるのか、ならないのか。だが、しかし、畜生、どちらにしろ行くしかないじゃないか。

 

山田はできる限り努力して大きく息を吸いこむ。ただそれだけのことで、こみあげてくる吐き気に耐えながら、彼はそっと瞼をとじた。

 

……足を踏みだしたのは無意識のうちにだった。

 

山田は大地を蹴って駆けだした。もがき苦しむように駆けた。安全を求めて駆けつづけた。

 

「……なにっ」

 

驚きの声をあげて、思わずのけぞった。いきなり、遡行軍の打刀とでくわした。獣のような目を光らせて、山田を見つめている。

 

山田のなかで、何もかもが石のように固まっていく。声だけでも絞り出そうとしたが、それも出来そうになかった。

 

敵は、そんな余裕を与えるつもりは毛頭ないらしい。まがまがしいうめき声をもらして、刀を構える。息をするようにおそろしく自然な動作で、山田の急所をめがけて突進してくる。

 

「この糞野郎っ!」

 

山田は吠えた。

 

腰が抜けないよう、必死になって心を鞭打つ。しかし心はそれに従うことなく、無言のまま沈んでいく。彼の命令に従ったのは両腕だけだった。腰が情けない音をたてながら落ちていく。その反動から、重い刀をかまえた両腕がもちがあった。

 

「ぐぉっ」

 

鈍い音ともに、苦痛の声があがった。

 

「……!?」

 

山田は猫のように目を大きく見開いた。彼はその瞬間味わった生々しい二つの感触を、生涯忘れることはないだろう。

 

ひとつは、腹のそこから絞り出されるような苦痛のうめき。内蔵の奥深くから絞りだされる奇怪なうめき。

 

そしてもうひとつは、偶然としか思えないタイミングで突きだす形になった刀がまともに敵の下腹部へめりこんでゆく、硬く、やわらかい感触。

 

「ああああああっ」

 

敵は腰を奇妙にくねらせて、折った。嘔吐するようなうめき声を漏らす。しかしもがき苦しみながらも、刀を落とすことはなかった。狂ったように刀を振るった。

 

山田の左頬に、冷たく、熱い感触が生じた。刃が、彼の頬を容赦なく切り裂いたのだ。

 

その瞬間、愛しい娘の顔が流星のように脳裏をよぎる。

 

「このバケモノがああああっ!」

 

山田の中で何かが消え失せた。

 

山田は奇怪な罵声をあげながら、のりだすような姿勢をとった。刀が、さらに柔らかいものへと沈みこむ感触が両手に伝わる。

 

「…………っ!」

 

敵は悲鳴すらあげることも出来なくなっていた。腹部から、水道管のように血があふれだした。

 

「おおおおっ!」

 

山田は両腕へさらに力をこめ、刀をひねった。刀はドリルのように回転しながら、敵に激痛を与えていく。敵は生まれたての子羊のように両足を痙攣させて、うしろ向きに倒れた。

 

ぬるり、と刀が抜けた。

 

「お前が、お前が殺したのか」

 

血まみれた刀を手にしたまま山田は呟いた。憎悪と殺意に染め上げられた顔がひきつり、魔物のように唇の両端がつり上がる。愚かな振るまいをしようとしていることを、彼は無視した。

 

「お前が俺の娘を殺したのかっ」

 

刀を振り上げた。

 

「俺の娘を殺したのはお前かあああああっ!」

 

刀をふりおろす。硬い刀は、敵のやわらかなものに直撃する。斬殺ではなく撲殺であった。山田は血まみれで、野獣のように奇怪な声をあげつづけた。

 

「お前のようなバケモノに、俺の、俺の娘は殺されたのかっ、ちくしょうっ、ふざけるなっ、ふざけるなぁぁぁぁっ!くそっ、死ね、死ね、死ねぇ!」

 

山田は狂ったように刀を叩きつけた。敵はとうに死んでいたが、そんなことに気づく余裕などなかった。血がほとばしり、骨が砕け、内容物が飛び散っても、彼は狂気の雄叫びをあげつづけた。

 

「……じ!」

 

声がきこえた。

 

「主!」

 

なにかに取り憑かれたようになっていた山田は顔をあげ、声の主を見た。

 

深緑の影。おそろしく艶かしい香りが鼻腔をくすぐる。誰だか分からなかったが、この、淫らとさえ言える香りは、これまで信じてきたすべてに意味はないと思わせるほどの力があった。

 

だからこそ山田は、そのすべてが全く好きになれなかった。

 

「おまえか、おまえなのかぁっ!おまえが俺の娘を殺したのかぁぁぁぁっ!」

 

山田は叫んだ。彼の顔がはち切れそうなほど膨らみ、充血した目は異常な光をたたえ、憎悪に支配された声は聞き取れないほど高く、裏返っていた。

 

甘い香りをただよわせる影は、一瞬だけ戸惑いをみせる。それから安堵したようなため息をもらして、優しい声で呼びかけてきた。

 

「主、僕が分からないのかい?……笑えない冗談だねぇ。僕はにっかり青江。君を迎えに来たんだよ

「に……かっり?にっかりなのか……?」

 

山田は間の抜けた顔をして、にっかり青江を見つめた。青江は幻のような美しさをきらめかせ、山田のもとへ歩み寄る。

 

「怪我はないみたいだねぇ。それは良かった」

「にっかり……」

 

山田は刀を落とした。そこでようやく、自分が今の今まで何をしていたか気づいた。ぬるぬりとしている両手をみおろす。

 

両手はまるで、血の海ひたしたかのように、びっしょりと濡れていた。例えようもない酸っぱい臭いが鼻を突く。考えるまでもなかった。

 

血の臭いだ。

 

「うぐっ」

 

胃液がこみあげてきた。胃が飛び出すのではないかと思うほどの強烈な吐き気が襲いかかる。山田は血まみれの両手を腹にあて、必死で耐えようとした。

 

その時になって彼はようやく、目の前の惨状に気づいた。

 

残虐に、どこまでも残酷に破壊し尽くされた肉塊が横たわっていた。

 

「うぐっ、なんだっ、これはっ、うぅっ」

 

山田は血だまりに膝をつきながら胃液を吐きだした。胃のなかにたいしたものは入っていない。残っているのは空気くらいだった。いちばん厄介な嘔吐だった。胃が痙攣するだけで、何も出てこない。彼は膝たちのまま血に汚れた髪をかきむしった。

 

「それでいいんだよ、主」

 

青江は山田に視線を与えず、哀れな肉塊を見つめていた。

 

「命を奪うということは、そういうことなんだ」

「おまえっ、何をっ、うぐっ」

「しゃべらなくていいから。……今はそれでいいってことだよ」

 

青江は子供をなだめるように、山田の背中を撫でた。戦場で受けた衝撃で心の砕けてしまったものたちを幾人も目にしていたにっかりは直感していたのだ。

 

すぐに支えてやらなければ、彼は壊れてしまう。

 

「もう済んだことだ。もう何もかも終わった。だからもういいんだ。これ以上自分を攻めないでくれ」

「くそっ、くそっ、くそおおおっ!」

 

山田はわめいた。初めて犯した殺人の衝動に、心が狂ったようにわめいた。すべての見栄、すべての憎しみ、そのほかの何もかもを忘れ果てたようにわめき続けた。

 

しかし、まったくの狂態をしめしながらも、彼の脳はどこまでも冷静に、かすかな音をひびかせた。

 

『お父さん』

 

……亡き娘の声(幻聴)だった。

​●娘の弔い 7

……どこからか娘の声(幻聴)が響いた。

 

山田は顔を上げた。といっても彼が鼓膜の機能を集中してひろいあげたのは、本丸で生じるすべての密やかな音を消し去る、賑やかな刀たちの声だけだった。

 

山田は無言のまま辺りを見る。宴というよりは祭りだった。実際、そういう意味を含ませているのだろう。彼らの声はどこまでも楽しげで、聞くものを喜ばせる力があった。

 

本丸の庭先では、さまざまな種類の刀剣男士たちや刀装兵で賑わい、並べられた大テーブルには豪勢な料理や酒がたっぷりと乗っている。山田の好みを考えてのことか、そこには食欲をそそるカレーも用意されていた。

 

「本丸によって趣は変わると聞いていたが、こうも違うものか」

 

山田はポツリと呟いた。彼は来客用に設けられた特別席に座っている。手には何も持っていない。刀装兵に何か飲み物を頼もうと思ったが、どうにも彼は忙しそうであり、来客とはいえ気が引けた。近侍の長谷部は主の関係者が訪れた場合に備えている。とても声を掛けられる状況ではなかった。

 

「喉が乾いたなら、僕が持ってきてあげようか?」

 

にっかり青江だった。しっとりと潤んだ瞳をきらめかせて、山田を見つめている。かれは濃紺の戦闘服に細い革製のブーツという姿で、彼の背後に控えていた。見栄えは良いが、美男子に戦闘服とはまぁなんとも、山田は今さらながらそう思った。もちろん口にするほど無粋ではない。

 

「俺はまだこの本丸の審神者に挨拶をしていない」

 

青江なりの気遣いだとは分かっていたが、山田は素っ気なく答えることにする。

 

「真面目だねぇ……。ここの審神者はそういうの気にしないと思うよ?」

「……ダメだ。いくら娘の友人とはいえ、必要最低限のマナーは守るべきだ」

「まなー……?」

「礼儀といえば分かるだろ?」

「ああ、そういうこと。やっぱり真面目だねぇ……」

「社会人として当たり前だ」

 

山田はそれきり黙りこんで、辺りを見回した。正直驚いている。宴の参加者たちが、大いにはめを外しているからだ。

 

軽歩兵と重歩兵がワインを酌み交わし、コップ替わりの酒ダルを握った岩融の肩に、今剣が乗ってはしゃいでいる。別の場所では同田貫と山伏が肩を組んで、楽しそうに暴れまわっており、こちらでは三日月と小狐丸が日本酒をゆったりと味わっている。皆、とにかく楽しそうである。

 

とても歴史を守る組織で開かれる宴とは思えない乱れっぷりである。しかし目くじらをたてる者はいない。

 

「まるで学生のサークルコンパだな……」

「うん?さぁくる?」

「……ここの刀剣男士たちは、楽しそうにしてるな」

「主である審神者によって、僕らの趣も変わるからね。それに今夜は無礼講なんだろう?……ほら、見てごらんよ」

 

青江はにっこりと笑みを浮かべて、壁にかけられた垂れ幕を指さした。山田はそれをちらりと見て、小さく息を吐いた。ほんの少しだけ動揺している。

 

『池田屋戦負けなくて良かったね祝賀会』

 

「……いまいち踏み切れていない名前の垂れ幕だな」

「そういう本丸なんだよ。ね、いい本丸だろう?」

「どうだろうな……」

 

山田は意味もなく頷いた。表情は言葉に出来ないほど複雑でありながら、子供のような素直さも垣間見える。少なくともこれは良い面だと青江は思った。獲物を前足で押さえつけた猫のような顔をして、ひっそりと呟いた。

 

「すぐに分かるよ」

 

本丸の庭先で雄叫びが幾つかあがり、人の波が割れた。

 

「主、審神者様がお見えになりました」

 

長谷部を声が聞こえた。山田は振り向いた。何かに気付いたような表情になる。微妙というより他はない異臭が鼻腔を痛めつける。遠くから、ひどく寝ぼけた声を響きわたった。人影があらわれる。

 

「ようこそおいでくださいましたー」

 

男は小走りで山田のほうへやってきた。妙に甲高い音を作り出す唇が、小刻みに痙攣している。有り体に、魅力的な外見ではなかった。否、それどころの話じゃない。彼には誉めるべき要素が何一つ見つからなかった。

 

丁寧に手入れされた庭が、おそらく安物のサンダルによってペタペタと叩かれる音が響いた。上はよれた無地のトレーナー、下はノーブランドのデニム。眼鏡は手脂か何かでうっすらと曇っている。ふっくらとした小太りの青年だった。背後には近侍の加州清光と、乱藤四郎がいる。

 

「ボクが鈴木です。一応ってのも変な言い方ですが、娘さんの友達です」

「初めまして、山田の父です。今は娘の本丸を引き継ぎ、審神者をしています。戦地では娘が大変お世話になったそうで」

「あ、そんな堅苦しい挨拶は大丈夫なんで。僕のほうが年下ですし……!あの、寧ろボクがお世話になりまくりでしたしね!……本当に、何の力にもなれずすみません」

 

鈴木はほんの一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべたが、すぐに間の抜けた表情に戻り、山田に頭を下げた。

 

「……君は何も悪くない。謝らないでくれ」

 

山田は心からそう思っているようだった。とはいっても、少しだけ動揺している。

 

無地トレーナーにノーブランドデニム、つまりアニメやコミックやゲームなどに全てを捧げるタイプであろうファッションの鈴木。とても娘と交遊関係があったとは思えない。娘にこの手の趣味はなかったはずだ。

 

それが表情にでてしまったのかもしれない。鈴木はすばやく言った。

 

「やっぱりビックリしますよね。ボクみたいなオタクと娘さんが友達なんて」

「申し訳ない。君を傷つけるつもりはなかった。本当にすまない」

「いやいやいやいや……!自虐ネタだしたボクが悪いんで……あ、ちょ、どうしよう、えーと……」

 

鈴木はあわあわと首を横に振った。それで誤魔化すしかなかったのだ。その他に、何をどうして良いのか分からない。ずんぐりむっくりな肉体を必要以上に揺らして、困り果てている。そんな彼を救ったのは、傍らで控えていた清光だった。

 

「とりあえず主の部屋に案内したら?」

 

清光はたしなめるように提案した。鈴の音よりもさらに涼しげな声が、匂いのように漂う。鈴木の頬が緩む。それから子供のように何度もうなずいて、にっこりとした。心を暖かくしてくれる笑顔だと、山田は判断した。

 

「あ、そうしようか、ここだと話しづらいし。あ、でも宴は」

「あー……じゃ、こうしようか」

 

山田たちにも微笑を向けながら清光が頷いた。ほっそりとした体だが、けして女のようなか弱さはない。適度に鍛えられた肉体は、優れた彫刻家によって生み出された芸術品に思えた。

 

清光と視線があった。彼は何か言いたげに唇をぴくつかせたが、すぐ元に戻った。周囲に大声で呼びかける。

 

「みんなー!主が今夜は存分に楽しめだってよー!」

「おおおお!」

「乾杯、乾杯だ!」

「主万歳! 乾杯!」

 

声が一斉にあがった。さすが近侍というべきか、うまい表現だった。主である鈴木がいようがいまいが、構わず楽しんで良いと受け取れる言葉だった。

 

鈴木は丁寧に頷き、刀剣男士と刀装兵へ手をあげる。万歳三唱とともに、自然にわきあがった熱狂的な歌声が彼の後ろ姿を追った。山田はこの曲を知っていた。人気ロボットアニメの主題歌だ。確か、そのシリーズのなかでも屈指の名作と呼ばれているものだ。

 

そんな歌声に見送られるように部屋へと案内された山田は思う。

 

(本当にこれで歴史を守っているのか)

 

すると青江が微笑みとともに囁いた。

 

「本当にいい本丸なんだけどなぁ」

「……!」

 

山田は素直に驚いた顔をして、妖艶とした色香をまとわせる青江を見つめた。何故、この青年は思っていることが分かったのか。付喪神だからか、それとも勘が働くのか。或いは両方か。

 

鈴木の部屋には当然のようにコタツが置かれており、脇にはテレビやゲーム機、そしてロボットのフィギュアが飾られていた。壁には美少女アニメのポスターが大量に貼られ、同人誌と呼ばれる本や雑誌が積み上げられている。

 

「ちょっと汚いですけど、あの、座ってください」

 

鈴木は油っぽい座布団に腰をおろした。この周辺がもっとも混沌としている。漫画雑誌からゲーム機のコントローラー、テレビのリモコン、携帯型の端末機にいたるまで、すべて手の届く位置になっている。おそらく、オタクという生物に備わる偏った才能がそうさせているのだろう。

 

乱は鈴木の膝にあがりこんだ。そしてその隣に清光が座る。山田から見て、それは異常な光景だった。自然と唇が歪んでしまう。

 

「な、何か飲みますよね?」

 

鈴木はコタツの脇においてあったペットボトルを持ち、グラスに液体を注ぐ。キンキンに冷えきった炭酸ジュースの音が心地よい。山田と青江、そして長谷部に手渡した。

 

「清光も乱ちゃんも飲むでしょ?」

「飲む飲む~」

「じゃ、俺も飲もうかなぁ」

 

素直に頷いて、別のグラスに炭酸ジュースを注ぐ。乱はすばやく手を伸ばし、ぐびぐびと喉を鳴らして飲んだ。清光もそれに続くように炭酸ジュースを飲み干す。

 

「えっと……ど、どっから話すべきですかね」

「娘とはどこで知り合いに?」

「山さんとは……あ、すいません、娘さんとは……」

「好きなように呼んでくれて構わないよ」

「……山さんとは同期です。研修会の時に仲良くなりました」

 

鈴木は清光から受け取ったポテトチップの袋を開いて、大皿に入れた。そのままコタツの真ん中に置く。山田は頭を下げて、ポテトチップを口にした。娘が子供の頃、おやつとしてよく食べていたものだった。芳ばしいバター風味のが、口いっぱいに広がる。

 

「ボクも山さんも一般採用組で、だからまぁ話の通じる相手がいなかったんですよね。周りはみんな社家のエリートばっかで、なんというか、アウェイなんです。空気が重くて、しんどくてしんどくて。ボクも山さんも研修会の片隅でぼっちしてたんです。で、自然と話すようになったというか」

「それで友達に?」

「あ、そうです。山さんは本当に……本当に良い人でしたよ。ボクみたいなオタク、普通なら気持ち悪がって避けるはずなのに……。分け隔てなく仲良くしてくれて……だから本当に……山さんが戦死したって聞いたときは……本当に……信じられなくて……」

 

鈴木は涙を流しながら、乱の頭を撫でた。乱はコミック雑誌を読みはじめている。清光は小さく咳ばらいをして、ティッシュの箱を差し出した。彼はコクコクと何度も頷いてから、ティッシュで目を拭った。

 

(何なんだこの本丸は……)

 

山田は眉を寄せた。鈴木という人間について計りかねている。刀剣男士たちを見れば、彼が悪い審神者でないことは分かる。だがそれだけだ。この気弱な男をどう扱うべきかと考える。そしてどう評価するべきか。結論を出すには、何もかもが早すぎた。

​●娘の弔い 8

「その、いきなり取り乱してすいませんでした」

 

鈴木は涙を拭いながら謝罪の言葉を口にした。審神者というよりは大学の教授に謝る学生のような雰囲気である。間の抜けた顔をしている鈴木を見つめながら、山田は小さく咳払いをした。いきなりどうしたんだと内心で突っ込みを入れつつも、できる限り落ち着いた物腰で答える事にした。何しろ相手は娘の友人である。

 

「気にしないでくれ、鈴木くん。私はこうして娘について話せる事がうれしいんだ。遠慮せず、もっと教えてはくれないだろうか」

「……山さんについてですか?」

「ああ。こう言うのも難だが、私は出来た父親ではなかった。娘の事をしっかりと見ていなかったし、話をちゃんと聞いてやれなかった。娘も私の事を良く思って――」

「山さんは家族思いの優しい人です」

 

山田の言葉を遮って、鈴木は強く断言した。気弱な青年が発したものとは思えないほどハリのある声だった。乱はチラッと本から顔をあげ、すぐに黒髪ツインテールの美少女が主人公の漫画に視線をもどした。この少年(刀剣男士だが)にとってはつまらない話なのだ。

 

「ボクがハッキリと言うのもダメかなと思うんですけど……でも誤解されたままじゃ山さんが可哀相だなって思いまして」

「どういう意味かね」

「言葉通りの意味です。山さんは家族思いの優しい人です。その、信じてもらえないかもしれませんが、山さんはいつも家族の話ばかりしてましたよ」

「……娘が?」

「お父さんの趣味は野球観戦とか、お母さんの得意料理はカレーとか。逆に苦手料理は天ぷらで、昔ぼや騒ぎを起こした事があるとか。あと亡くなったお祖父ちゃんは刀が好きで、よく展示会に連れてってくれたとか。……あと、山さんの幼馴染みが転落死した話も聞きました。その事で後悔してるという話も」

 

山田は驚きで喉が詰まりそうになっていた。自分達の家庭環境について、誰であろうオタクの鈴木に細かく言われたのでは当たり前である。思わず傍らにいた青江を睨み付けたが、かれは苦笑してみせるだけだった。前の主について話すことは禁じられている、と言っているようだった。小さくため息をついた。

 

「驚いたな。娘は君にそこまで話していたのか」

「あ、いや……。ボクがしつこく聞いてしまったってのもあるんで、その、何て言ったらいいか」

「君に話したい理由があった、ということではないのな?」

「あ、あー……そ、そうとも言えますよね、たぶん」

「その理由を教えてはくれないだろうか」

 

鈴木の混乱に気づいた山田はしずかに頭を下げた。目の前にいる気弱な青年はあい変わらずアワアワとしていたが、山田の誠意ある態度に心打たれたらしく、神妙な面持ちで背筋を伸ばした。声を押し殺して、これまでとはうって変わった口調で、ゆっくりと答えた。 

 

「ボクには家族がいないんです。親はボクが生まれてすぐに事故で死んでしまって……その、親戚ってやつもいなかったんで……なんと言ったらいいか、ボクは施設育ちなんです。家族ってのがどんなものか知らないボクからしたら、山さんの話は本当に新鮮で温かくて……。だから山さんはボクに家族の話をしてくれたんじゃないかな」

「…………すまない、私はそんなつもりじゃ」

「あ、あ、いいいんです、いいんです!家族がいない事については、そんな大事じゃないんで!いや大事ではあるんですが、その、国からの支援金もあったんで!この事について気を使って欲しくないんで、そんな、なんというかーあのー」

「僕らは家族でしょー、主ぃー!」

 

話が少しずつ逸れていた矢先、コタツの上に置かれていた桜型のステッキを振り回しながら乱が抗議した。ただ一人(刀の場合は一振りだが)、この微妙な空気に呑まれていない清光もそれに同意する。

 

「そうだよ、俺らは家族でしょ。家族がいないなんて、そんな寂しいこと言わないでよ」

「あ、ごめん……」

「そうだよー!主のバカー!」

「今は……!今はみんながいるんで!だから、その、えーと」

「家族がいるから幸せなんだよねー?」

「なんだよねー?」

「ねー」

 

絶妙なタイミングで応じあう鈴木たち。見事なものだとは思ったが、山田は少しずつ混乱していた。話が見えなくなってきている。オタク特有の言葉遣いは、その類いに詳しいわけじゃない山田には何が何だか分からない。元サラリーマンのスキルを生かして彼の話に合わせる努力を心がけたが、それでもやはり限界というものがある。

 

頭を抱えていた山田の背にやわらかいものが触れた。電流が流されたような感覚で背筋が震える。振り向くと、青江がニッコリと微笑みながら背をさすっていた。山田は苦笑する。

 

「君の実直さに娘は惹かれたんだろうな」

「あっ、いやいや!ボクの育ちに同情して話してくれたんじゃないかと」

「それはきっと違うよ、鈴木くん。失礼を承知で言えば、娘の友達に君のようなタイプはいなかった。君をバカにしているわけじゃないんだ。私の知る娘の友達というのは、本心を包み隠しているような子が多かったんだ。そういうタイプの人間が好きだとばかり思っていたが、私の勝手な勘違いだったようだ。私は本当に娘のことをよく見ていなかった。親失格だな」

「……いやいや、ボクを買い被りすぎですよ。何て言ったら、ボクはそんな真っ直ぐな人間じゃないです。てか、その、謝るのはボクの方です」

「謝る?何をだね?」

「あ、あー……何て言ったらいいか……うーん」

 

鈴木は唇を芋虫のようにモゴモゴと動かし、何度か深呼吸を繰り返して、ゆっくりと肩の力を抜いた。腹の底から力を込めて、声を発する。

 

「山田さんをこの本丸に呼んだのは、その、ええと、怒るつもりだったんです……」

「怒る……?私をかね?」

「あーっ!すいません、本当にすいません!ボクが勝手にそうだと思いこんでしまったんです!山さんが家族のことを心から大切にしてて、だからこそすごく悩んでいたのをボクは知ってたんで、だからその、そんな山さんの気持ちを知ろうとしない家族は何を考えてるのかなって……。あああ、違うんです、違うんです!こうして山田さんとお話して、何もかもボクの勘違いだったと分かったんで、その、いやもうこの時点で傲慢だと思うんですが、とにかく謝りたくて……!すみません、本当にすいません!」

「す、鈴木くん?」

「疑ってしまい、申し訳ありませんでしたぁ!」

 

鈴木は膝上にいた乱をどかして、両手をついてその場で土下座をした。山田は両目をカッと見開いた。突然の出来事に頭が真っ白になりそうになったが、元サラリーマンのスキルを生かして全力でそれに耐えた。これは不味いことになったぞと、おそるおそる鈴木の刀剣男士たちを見る。予想通り、清光と乱は冷えきった視線を山田に送っていた。そりゃそうだろう。彼らからすれば、大切な主君が中年親父に土下座を強要されたようにしか見えないのだ。山田は即座に立ち上がった。皺が刻み込まれた額からは脂汗が浮き出ている。

 

「鈴木さん、鈴木さん、どうか顔をあげてはくれないだろうか」

「無理です無理です無理です!よくよく考えたらあれなんです、ボクがやっぱり悪いんです!ボクみたいな奴を友達だと思ってくれた山さんのお父さんが悪い人なわけないのに、それなのにボクは、ボクは……あなたを騙すようなことを……!天国の山さんに顔向けできない!」

「私がダメな父親であることに間違いはない。だからこそ私は父親としてだね」

「完璧な父親なんてこの世にいるわけないじゃないですか。いや、父親のいないボクが言うのもあれですが、その、ガ〇ダムのデ〇ン公王だって父親としてはか完璧じゃなかったけど、息子のガ〇マのことを心から愛していたのは事実ですし……!そう、山田さんと山さんはデ〇ン公王とその息子ガ〇マだと思うんです!」

「……デ〇ン……ガ〇マ?すまない……何を言っているのか私には……」

「ガ〇ダムをご存知ありませんか……。その、デ〇ン公王とガ〇マはお互いを大切に想いながらすれ違ってしまった親子とさなんですが……お二人もそうなんじゃないかなって」

「は、はぁ……」

「だから山さんは、お父さんである山田さんを嫌ってなんかないです!友達のボクが保証します!ガ〇マが父親のデ〇ン公王を愛していたように、山さんもお父さんである山田さんを大切に想っていました!だから、どうか、それを否定しないでください!山さんが本当に可哀想だ!お、お願いいたします!」

「わ、分かった、分かったから、どうか顔をあげてくれ」

「……はい」

 

鈴木はゆっくりと顔をあげた。どこか悲しげな表情である。それから救いを求めるように、清光と乱の手をしっかりと握った。彼らも握り返している。まるで子を守る母獅子のような顔をしている。

 

それを見てようやく山田は気づいた。そうか、と心のなかで呟く。この哀れなほど不器用で気弱な青年は、人として大切なものをしっかりと有している。それを失う、または奪われる機会が人より多くあったにも関わらず、彼はそれをしっかりと育んできた。であるからこそ刀剣男士たちは、彼をただ一人の主と認め、家族のように慕っているのだ。いや、主の望む家族であろうとしているのだ。刀は主に従うのみ。主が思うままに、望むままにその色を変える。だから、だからこそ――。

 

「……刀の扱い方を教えてくれたのは山さんです」

 

鈴木はポツリと呟いた。真ん丸とした頬をこれ以上ないぐらい火照らせながら、コーラの入ったコップを握る。その指は微かに震えていた。

 

「というより、山さんはボクに人との関わり方を教えてくれました。その、ボクは人見知りをしてしまう悪い癖があるんです。だから友達もいませんでしたし、心を許せる先生もいませんでした。見た目もこんなんだからよくいじめられてて、どうにか就職できてもパワハラとかモハラハラとかされまくって……そう、社会不適合者なんです。こんなボクが審神者なんか務まるのかなって不安だったんですが、山さんのおかげでどうにかやっていけてます。山さんはボクの恩人です」

「…………」

「あ、す、すいません。自分語りとか、めちゃくちゃ引きますよね」

「そんなことはないよ。君の話には嘘偽りがない。だからかな、まるで娘を目にしているような気分になる。……その、一ついいかな?」

「あ、はい。なんでしょう?」

「娘は刀の扱い方について何と言ってたのだろう?」

「あ、それですねー……」

 

鈴木はコップからコーラを流し込み、おおきく息を吐いた。コンビニの袋から新しいポテトチップスの袋を取りだし、バリバリと開いてコタツの真ん中に置く。

 

「……山田さん、戦場へはもう行かれましたか?」

「え?」

「大事なことなんです。教えてくれませんか?」

「二度、出陣した。初陣は審神者の伊集院さんと。次は夜戦だった。結果は散々だったよ」

「敵を殺しましたか?」

「……ああ」

 

鈴木の質問、その真意がわからぬまま山田はこたえた。鈴木はあくまでも真面目だ。きちんと答えなければ悪いような気がしたのだ。鈴木はゆっくりと頷いて、乱の頭を優しく撫でた。しかし、目にはそれまでとは違う真剣な光が浮かんでいた。

 

「ボクもそれくらいの時に敵を殺しました」

「…………」

 

山田は黙って鈴木を見つめた。自分と彼に共通する、審神者としての臭い。自分にも当てはまる要素。だからこそ通じあえる何か。

 

「……人間ではなかったとはいえ、自分がこんな事をするなんて思ってもみなかった。忘れたくても忘れられない。いや、忘れてはいけないのだろう」

「ボクも、あの、同じ事を思いました。……その時になってようやく自分が今何をしてるのか分かりました。明確な殺意を抱いて敵を刀で殺したんです。戦争だから仕方がないとか、そんな言葉で片付けられませんでした。だから、だからその、怖くなってしばらく眠れませんでした。熱もでました。三日三晩うなされながら、ボクは皆のことを……刀剣男士たちについて考えました。そこで、そこでようやく気づいたんです」

 

話しているうちに勢いづいたらしい鈴木は、彼にしては珍しいほどの早口で続けた。

 

「ボクは彼らの事を人を殺める道具だと思ってました。だから冷酷非道な存在だと、だから残酷な存在だと、そう勝手に決めつけていたんです。でも、彼らはそれを求めていたわけじゃない。人間です。人間がそれを強く求めていたから、刀として応えてくれていただけなんです。分かりますか、ボクの言いたいことが」

「ああ、分かるとも」

「……山さんはボクの話を聞いてくれました。その時ですよ、刀の扱い方について教えてくれたのは」

「どう言っていたのかね」

「刀を道具として扱ってはいけない」

「なるほど、シンプルだな」

「ええ、シンプルでしょ」

 

鈴木は笑みを浮かべた。ひどく辛そうな笑みだった。顔は真っ赤にふくれあがっている。彼は苦しそうにうめき声を漏らしたが、それでも笑うのはやめなかった。まるで何かの罪ほろぼしでもするように、いつまでも笑っていた。

 

(これが娘の友人か)

 

山田は思った。まさにその通りなのだ。娘にとって友人といえる存在は鈴木だけだったのだ。だから、鈴木の人生に強烈な光を与えるほどの善意を与えたのだ。鈴木ならば理解してくれると信じて。

 

……ようやく鈴木が笑いおさめた頃、どこからか娘の幻聴が響いた。