草薙家
ごく普通の女子高生が過去にタイムスリップしてしまうお話。
■草薙家・登場人物
草薙家
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古来より草薙山神社の神職を世襲してきた社家。
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草薙家は国(行政機関)との繋りが深い。
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優秀な審神者を輩出する名家で、時の政府設立に関わっている。
草薙山神社
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草薙山(クサナギノオロチ)を神体としていたが、後に草薙大蛇、日本武尊を奉る。
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主祭神は日本武尊。祭神は草薙大蛇、草薙姫。
クサナギノオロチ伝説
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クサナギノオロチによって草薙の地は大干ばつに苦しめられていたが、草薙大蛇によって救われたという伝説。
草薙真(クサナギ マコト)
18歳/176㎝/一人称:ボク/二人称:キミ
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「草薙姫」の主人公。
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身長の高さと見た目の雰囲気から“王子”と呼ばれている。
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生真面目な性格のため、周囲の期待に応えるように男として振る舞う。
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思春期を迎え、体の成長と変化と共に自分が“男”であることに違和感を覚えるようになる。
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幼馴染の草薙に恋心を抱いており、後に結婚。
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有名な神学者。彼女の書籍は審神者の教本に用いられている。
草薙隼人(クサナギ ハヤト)
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真の幼馴染。草薙山神社の跡取り息子。
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どこにでもいるごく普通の高校生。
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真に好意を寄せており、後に結婚している。
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草薙梅子、草薙春江の先祖である。
草薙梅子(クサナギ ウメコ)
16歳/160センチ
近侍:石切丸/初期刀:星乃宮
好きなもの:戦争
嫌いなもの:スピリチュアル全般
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草薙山神社の後取り娘。
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幼い頃より、草薙山神社の後取りとして一流の教育を受けてきた。
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草薙家の厳格な教育方針などがストレスとなり、13歳の時にギャルとして覚醒。盗んだバイクで走り出す13の夜状態に成りはてた。
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戦争大好きマンで、中身はメチャクチャ。短気だし傲慢。勝ち気だし、根性まがり。草薙家の跡取りということで我慢していたストレスから、とんでもねぇぐらいひん曲がった。
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生粋のリアリスト。付喪神も遡行軍もその他もろもろも、“突然変異”と切り捨てるぐらいスピリチュアルジャンルを徹底的に嫌う。
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クサナギノオロチ伝説も、“元をたどれば異民族討伐なんじゃなぁい~っ?”と切り捨てるぐはいスピリチュアルジャンルが嫌い。
草薙春江(クサナギ ハルエ)
15歳/162㎝
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草薙山神社に仕える盲目の巫女。
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優れた霊能力者で千里眼の持ち主。
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審神者制度の基礎をつくり上げた功労者。
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三日月宗近と恋仲にある。
草薙大蛇(クサナギダイジャ)
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古より草薙の地に住まう百蛇(水神)、天つ神。
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草薙山神社の祭神。社は蛇池と呼ばれる池。
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荒神“クサナギノオロチ”によって干ばつに苦しむ草薙の地に水をもたらした。
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妻は草薙姫で、彼女を心から愛している。
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草薙大蛇と草薙姫の子孫が草薙家である。
草薙姫(クサナギヒメ)
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草薙大蛇の妻
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日本書紀、古事記においては女神(一説では草薙山の女神とされている)
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“クサナギノオロチ”の生贄にされていたところを、草薙大蛇によって救われた乙女。
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クサナギノオロチ伝説後、どうなったかは原文では明記されていないが、子孫を残したと言われている。
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一説では草薙山神社の巫女と言われている。
クサナギノオロチ
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太古の昔、草薙の地に干ばつをもたらした荒神(国つ神)であり水神。
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草薙の地に水をもたらしていたが、若く美しい娘を生贄として求めていた。
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生贄を差し出さなかった怒りから、草薙の地に大干ばつをもたらした。
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草薙姫を見初め妻として差し出すことを求めていた。
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草薙大蛇によって噛み殺され、その死体は草薙山の黄泉池の底へと沈められた。
●草薙姫 1
……その声は遥か彼方の深みから聞こえてきた。
綺麗な声だった。
まるで雨が大地を潤すように、ボクの心に染み込んでいく。
美しい声だった。
まるで花が風に揺れ踊るように、ボクの体を包み込んでいく。
不思議だ。聞き覚えのない声にもかかわらず、どういうわけか懐かしさを感じる。これをデジャヴ現象とでも言うのだろうか。でも嫌な感じはしない。ふかふかの布団みたいに心地よくて、気持ちいい。いつまでものんびりと眠っていたい。そんな気持ちで胸がいっぱいになってしまう。きっといけない事なんだろう。理由は分からないけれど、そんな気がした。
『……姫』
声が聞こえる。誰かを呼んでいる。ボクはじっと耳をすましてみた。それでも聞き取る事が出来ない。水中では鼓膜が濡れるから、どんな声もくぐもって聞こえてしまう。
そう、ボクは今水中にいる。どこまでも深い水の底には光すら届かない。とろりとたまった闇の中で、ボクはふよふよと漂っている。まるでクラゲのように、ぷかぷかと水の流れに身を任せてまどろむ。
『……姫』
声は途切れない。愛しげに、それでいて切なげに誰かを呼び続けている。その深く、やわらかい声に吸い込まれるように、ボクは手を伸ばそうさた。
でもそれ以上は何もできなかった。
『……やっと見つけた』
耳元から、別の声が聞こえてきた。ボクはその声が怖かった。何もかもが不気味で、怖くて、おぞましいからだ。それをどう例えるべきか分からない。
深く、どこまでも深く濁り果てたような声。
忌まわしいものを宿したように底深い声。
地底から這い上がってくるように不気味な声。
そんな類いの言葉がよく似合う声だった。その声は形を伴って、ボクの体を水底に引きずり込もうとする。
『こちらへ、こちらへおいで』
「……っ!や、やめっ……」
ボクは必死に抵抗する。でも、手応えはまるでない。姿かたちも分からない誰かは、声を発することもなく、ボクの体を絡め取っている。まるで愛撫でもしているかのようだ。その感触はひんやりと冷たくて、どっしりと重さを感じる。体がねちょねちょしたものに包まれたような気がして、気持ち悪い。否、それだけじゃない。何か得体の知れない、そう、有無を言わせない恐怖を感じる。
怖い、ただひたらすら怖かった。怖くて怖くて抵抗出来ない。逃げる事すらできない。でも見る事はできた。ボクにできる事はそれだけだった。
「誰だっ……!?」
ボクの目の前には馬鹿みたいに大きな蛇がいた。
真っ白い鱗を妖しく煌めかせながら、ゆるやかにうねっている。それがいかにも禍々しいものに思え、目を背きたくなった。
白蛇はボクを見ている。表情のない、糸のように細い目は異様な光を帯びている。その目を見つめているうちに、形容しがたい怖ろしさが全身をとらへ始めた。 すると白蛇は薄っぺらい舌で、ボクの顔を丁寧に舐めとった。そこから滲み出る生臭さが、ありとあらゆる神経を麻痺させていく。まるで毒だ。ボクの身体機能は失われ、心は石のように固まっていく。
(これが夢ならはやく覚めてくれ!)
ボクは祈った。この世界を支配している絶対的な存在に許しを乞い続けた。早く目が覚めますようにと心の中で唱え続けた。それにすがるしかない。でもそれすら叶いそうになかった。
白蛇はボクの体に己の頭をしっかりと巻きつけてきた。生ぬるい鱗の感触がゆっくりと、しかし確実に這い上がってくる。腸にしみ通るような気持ち悪さだった。気持ち悪い、本当に気持ち悪い。いっそ死んでしまいたい。でもそれすらできない。最悪、最悪だ。何故ってそれは--。
ボクはこのまま食べられてしまうからだ。
ボクの体は、正体の分からない白蛇によって、ゆっくりと飲み込まれていく。まるで蛇に補食される蛙みたいに、何もかもが奪われていく。これは比喩表現なんかじゃない。ボクの身に襲いかかる現象、その全てに明確な意思を感じ取れた。だから、だからなんだ。
ボクは白蛇の声をハッキリと耳にした。
『やっと見つけた、草薙姫』
●草薙姫 2
「……おーい起きろ、真ぉーっ!」
教室中に響きわたるような大きな声が、耳の中に入り込んできた。
真は目を開ける。閑散とした教室が夕焼けの光に照らされて、赤く輝いていた。それは血のように赤く、毒々しく、そして美しかった。その奇妙な魔力に吸い寄せられるように、真はゆっくりと起き上がる。そこでようやく、何もかもが夢であったことに気づいた。はぁーっと、安堵のため息をつく。ほんの少しではあるが、彼女の心から重苦しい何かが消えた。
「夢か……」
真はポツリと呟いて、ゆっくりと立ち上がった。そして大切なことを思い出したように、後ろを振り返った。クラスメイトの男子生徒が、すぐ自分の後に立っていたのだ。
「お前が居眠りなんて珍しいな」
「……草薙くんか。最近ちょっと寝不足なんだ」
「勉強でもしてんの?」
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあ何だよ」
男子生徒――草薙は怪訝そうな表情をした。美男子とはいえないが、少し円顔の整った顔立をしている。少し垂れ気味の目は小さな奥二重で、頬はやわらかな稜線を描いている。 十八才という年齢よりもずっと幼く見えた。
「別に何でもないよ」
真は答えた。まるで、年の離れた弟と向きあっているような気分だった。草薙とは赤ん坊の頃からの付き合いだ。小学生の頃、学校で遊んでいたときは頼りない痩せ細った子供だったが、今はそれほどでもない。運動部に所属していることもあって、骨太でしっかりとした骨格をしている印象を受ける。
しかしそれ以上の魅力を見いだすことは出来なかった。例えば胸をときめかせてしまうような、心が恋に満ちるような、そんなみずみずしい感情に支配されることは今まで一度もなかった。あくまでも幼なじみであり、数少ない友人だった。
「ボクだってたまには居眠りぐらいするよ」
真は何のためらいもなく適当に答え、話をそらすように欠伸をした。
「さあ、もう帰ろう。そろそろ完全下校の時間だろ?」
「そ、そうだな」
草薙は不満そうに顔をしかめたが、それ以上何も言わなかった。もう少しすると、完全下校時刻のチャイムが鳴るからだ。
そうして二人は教室を後にした。 真は足早に歩き続け、草薙がそのあとを追う。そうやって並ぶと彼らの身長は同じぐらい――いや、真のほうが高く、そして美しかった。
彼女の美しさは、色鮮やかな花のそれとは違う。例えるならそれは、森を流れる川のように自然なもの。真という少女の周りは、常に涼しい空気と清らかな水が存在しているように静かなのだ。
そして、装飾一つないシンプルな制服が、かえって彼女の美貌を引き立てていた。額高く、短い髪と凛々しい眉は黒真珠のように映え、鼻筋は高く通っている。唇は薄めだが、その控えめさが好ましい。凛とした雰囲気を漂わせるその姿は、犯しがたい気品と、誰の心をも捉えずにはおかない魅力があった。
「……部活はどうだったんだい?」
真は訊ねた。周囲をほんの一瞬で澄みとおらせてしまうような凛々しい声だった。そんな彼女の声に聞き入りながら、草薙は力をこめて頷いた。自分自身の本心を誤魔化しているつもりだった。
「ん、今日は自主練だったからサボった」
「またそれか。キミ、もうすぐ大会なんだろ?」
「練習してもしなくても、初戦敗退は確定だよ。なんたって県内屈指の弱小チームだからな」
「まだ戦ってもいないのに弱腰だね。キミは部長だろ」
「じゃん拳で決めた部長だよ。それ以外に理由なんてないんだ」
「それでも野球部の部長だろ。もう少し責任感を持ったらどうかな」
「……マジメだなぁ、“真王子”は」
草薙は言い返した。意図的に、最後の名詞を強く発音する。ほんの一瞬、真の顔面がひきつった。嫌なことを思い出しているようだった。それを分かった上で、彼は自分のペースに引き込む言葉を繰り出してきた。
「マジメで優等生な真王子は、女子にモテモテで羨ましいよ。俺なんか全然だぜ?去年のバレンタインなんかさ、お前がクラスで一番女子に貰ってたよなぁ。しかもラブレター付きの」
「……男のやっかみや嫉妬は女より醜いものだよ、草薙くん」
「はいはいスイマセン、真王子」
「その王子って呼び方、いい加減やめてくれないか」
「何で?ガキの頃からのニックネームじゃん。今さら変える気なんてねーよ」
「キミのせいで、クラスでのあだ名が王子になった」
「親しまれてる証拠じゃん、誇りに思えよ」
「…………」
真はそれきり黙りこんだ。すると待っていたかのように、完全下校時刻を告げる学校のチャイムがひっそりと鳴った。 聞けば聞くほど悲しい音だった。遠い、どこまでも遠い過去を思い出させてくれるように、切なくも美しい音だった。その音に耳をすませながら、彼女は切れ長の大きな目で、射るように草薙をとらえた。
「キミはボクを男にしたいのかい?」
「そんなつもりはねぇよ」
草薙はドキリとしたように目を見開いて、真の顔を見つめた。
「でもさ、なんつーか、女の子って感じではないじゃん?」
「それじゃやっぱりボクは男じゃないか」
「そ、そういう意味でもねぇーって」
「女でもない、だからといって男でもない。キミはボクを何だと思ってるんだ?」
「だから王子なんだって」
「王子は男だろ?」
「それは違うんだって」
草薙は激しく首を横にふって、事の重大性を力説し始めた。
「王子ってのはさ、童話とか少女漫画にしかいない夢みたいなものなんだよ。現実にはあり得ない、あるはずもないものを全部持ってて、現実を忘れさせてくれる。だから真は男じゃなくて王子なんだよ。女子はお前に夢を見てるのさ」
「…………」
真は何も言わなかった。星のように澄んで、微塵の濁りもない瞳が輝きをました。美しいというよりは、儚いものを宿らせる輝きだった。まるで彼女の気持ちを代弁しているように思えて、草薙は無意識に視線を逸らした。自分の心臓が高鳴っていることを自覚したのは、その時が初めてだった。
「キミ達にとって、ボクは夢の存在なのか」
長い沈黙のあとで、真は蜃気楼を見ているように呟いた。夜風のようにしずかな声が、人気のない下駄箱に響きわたる。それは青ざめた光そのものだった。
「草薙くん、夢は偽りで作られるものだよ。だから美しいのかもしれないけど、偽りであることに変わりはない。それはやがて歪みが生じて、あっという間に崩れ落ちる時がくると思うよ」
「真……?」
「……いや、忘れてくれ。今日は少し疲れているんだ」
「あ、そうなんだ……」
「うん」
「あ、あのさ、お前最近ちょっと……」
下駄箱から靴をとり出した時、ふいに、草薙は自分の背後に足音をきいた。パタパタと重みのない軽やかな音だった。何げなく後ろを振り返ってみると、そこには名前も知らない女子生徒が立っていた。十人並の顔だが、それほど美人という顔ではない。だからといって可愛らしいわけでもなく、若さだけが魅力のように思える女子生徒だった。
「ボク達に何か用?」
真は静かな微笑を浮かべつつ訊ねた。それが社交辞令で、とくに深い意味はないということを草薙は知っていたし、同時に人を誘い込んでしまうような何かがあることも知っていた。だからこそ何も言わず、ただ、目の前で繰り広げられるラブドラマを眺めていた。
「ま、真先輩に渡したいものがあって」
「ボクに?」
「あ、えっと、こ、これを、受け取ってもらえたらなって!」
女子生徒はそう言うや否や、隠し持っていたラブレターを取り出した。それはピンク色の封筒で、甘酸っぱいイチゴの香りが匂い立っている。量販店に出回る物でないことは、その手の知識がない草薙にも分かった。それだけ恋に本気なのだ。だからこそ、彼は憧れと尊敬の念を覚えた。もちろん口に出すことはしなかった。その程度の見栄ぐらいはある。
真はどうするのだろうと、草薙は彼女を見た。
「……ごめん、これは受け取れないよ」
どこまでも深い湖のような憂いに満ちた眼差しで、真は言った。寂しげな声だった。その甘やかな音の響きが、何かを追い求めるように漂っている。しかしそれはほんの一瞬の出来事だった。消えかけた流れ星がパッと輝くように、声に儚い力が宿った。
「ボク、大切な人がいるんだ」
「え……あ、あのそれは」
「……マジで!?」
女子生徒の声をさえぎり、草薙は思わず大声をあげてしまった。幼児のように目を丸くして、ぎょろりと黒目を動かした。顔の筋肉がひくひくと痙攣をおこす。
「ああ、草薙くんには言ってなかったね」
真は哀しげに草薙を見つめている。彼女の顔には複雑な感情が入れ替り立ち替りあらわれては消えた。……最後に残ったのは微笑みだった。
「ボクにはずっと昔から大切な人がいるんだよ」
「ま、マジかー……き、気づかなかったわー」
「そうだね、キミじゃ気づかないかもね」
「……あ、えーと、ちなみに誰か教えてくれたりは……」
「教えるわけないだろ。じゃあ、ボクはこれで失礼するよ」
真はきっぱり口にした。まるでタイミングを見計らっていたかのように、その場から離れた。 草薙も女子生徒も置き去りにして、深い雪を掻き分けるように歩いている。それがとても痛々しく思えて、草薙はすぐに彼女の後を追いかけた。その際、女子生徒には深々と頭を下げた。
彼は不真面目な男ではあったが、神社育ちの人間らしく態度だけは礼儀正しかった。
「……なぁ、さっきの話なんだけどさぁ」
草薙が困ったような口調で訊ね、二人は校門の外へ並んで出ていった。しかし真は相変わらず前だけを見て歩いている。その視線の先には、オレンジ色の夕空が夜に溶け込もうとしていた。あと少しで夜がはじまる。
「キミに話すつもりはないよ」
「え、まだ最後まで言ってないじゃん」
「ボクの大切な人についてだろ?」
「何でもお見通しってか」
「幼なじみだからね」
「ふうん、その幼なじみにも話せないぐらい大切な奴がいるんだ」
「まあね」
「それ俺の知ってる奴?」
「悪いけど、その質問には答えないよ」
真ははっきりと口に出して言った。そして、ほんの少し距離を開けてから、彼女は素早くふり向いて草薙を見つめた。 嘲るような、挑むような眼だった。
「……問い詰めたいぐらいに気になる話なのかい?」
夕焼けの光を背後から浴びている真が静かに微笑んだ。
「それは……」
心臓が高鳴る。真へのどうにもならない想いが、泉のように涌きあがる。しかし言葉として発する勇気がなく、ただただ呆然と、彼女の美しい顔を見つめることしか出来なかった。
「それは、その」
「だったらもういいじゃないか」
真は切り捨てるように言った。その声にたっぷりと哀れみが含まれていることに、草薙は気づいた。声にならない声が身体中を締め付け、彼は動くことも出来なくなった。血の気がはっきりと自覚できるほどに失せ、得体の知れない寒気が全身を包む。それは恐怖だった。真という女を失うことへの恐怖が、草薙の全てを変えているのだ。
「……やっぱりキミは何も言ってくれないんだね」
真は消え入るように、しかしはっきりとした確信を持って言いきった。
「そ、そうじゃないって」
草薙は慌てて否定した。否定したが、何もかも遅かった。真の態度を見ればすべて分かる。彼女はずっと待っていたのだ。ある種の信仰のような想いを抱いて、自分の言葉を待ち続けていたのだ。
お前が好きだ、お前が必要だと言ってくれるその日をずっと待ち続けていたのだ。
「ま、真……」
「もういいよ」
もう見ちゃいられないと言わんばかりの表情で、真は歩きだした。顔は引きつり、肌は青ざめ、身体中が冷や汗で濡れている。それでも歩くのを止めなかった。走り出せなかったのは、得体の知れない吐き気に襲われたからだ。
「ま、待てよ、真!」
草薙が大きな声が叫んでいた。まるで負け犬の遠吠えだった。だからこそどうしようもないほどに悲しくなった。冷えきってしまった細い指を握りしめ、真は歩き続けた。
(逃げるのか)
頭の中の意地悪い誰かが呟いた。
(逃げるつもりか、真)
「うるさい、黙ってくれ」
真は走り出した。後ろから草薙が呼んでいることに気づいていたが、視線すら向けなかった。いや、向けられなかったのだ。だからこそ彼女はいつまでも走り続けた。家路とは反対の方角だった。
……それから一時間ほど走っただろうか。真は神社の境内にいた。いや、いることにようやく気づいた。
「……ボクは何を」
真はポツリと呟いた。
すると何かを待ちわびていたかのように、太鼓が境内に谺した。閉門を知らせるその音は、美しく壮大であった。思わず顔を上げ、辺りを見回す。太陽は地平線に身を隠し、闇を誘おうとしている。あと少しで夜がはじまるのだ。
「此処は……」
自分が神社の片隅にある池にいること、山々の向こうに学校の校舎見えることで、ここが草薙山神社の境内であることがようやく分かった。
この池は、確か蛇池と呼ばれていたはずだ。境内やその先に広がる草薙山の水源の一つで、現在でも地中深くより水が湧き出ている。
真は意味もなく蛇池を見つめた。岩から涌き出る水の美しさに、自分の何もかもが引き寄せられていくような気がした。そっと耳を済ませてみる。
水は淡い音を奏で、風に溶け込む。それと共に揺れる木々のざわめきは、母の子守唄を思わせる。
空気は甘い。それは砂糖のような人工的なものではなく、もっと自然で、柔らかなもの。吸い込めば吸い込むほど、心に安らぎをもたらす何か。
「はぁ……」
真は地面を見た。巣に羽虫を運び込もうとしている蟻の隊列が見えた。
心の中でどろどろとしたものがうねっている。それは愛よりも深く、憎悪よりも忌まわしいものだった。粘った音をたてて、心の中をはげしくかき回す。
(お前は逃げたんだ)
自分の頭の中のさらに深い場所で、何かが囁いた。力強い洗練された低音がゆるやかに響きわたり、心と体を追いつめていく。
「ボクが、ボクが逃げた?」
(そうだ、逃げたんだ。ようやく現実に気づかされたんだな、可哀想に。お前、いつかあの男が自分に想いを告げてくれると信じていただろう?ところがそうじゃなかった。あの男だって、男でも女でもない夢のように儚いお前より、ただの女のほうがいいに決まっている)
「ちがう、そんなはずないじゃないか。草薙くんは、草薙くんはボクを」
(何も言ってくれなかったじゃないか)
「それは、それはそうかもしれないけど」
(信じていたかったんだろう)
「……信じていたかったんだ」
(そうだ、お前は信じていた。でも裏切られた)
「裏切られた」
(そう、お前は裏切られた)
「裏切られた」
(裏切られた)
「裏切られた、裏切られたんだ……」
真は何度も呟いた。寒気と吐き気は耐えがたいほどになっていた。息が苦しくなってはじめて、自分が呼吸も忘れていたことに気がついた。その全てから逃れるように、ほっそりと長身な体を両腕で抱きしめた。吐き出したくても吐き出せないものがぐるぐると頭の中を巡り、やがてゆっくりと浮かび上がってきた。
草薙とは永遠に結ばれない。
「草薙くん……」
……物音が聞こえた。
「……!」
真は顔をあげた。その音はゆっくりと、しかし確実に近づいていた。足音ではなかった。もっと異質で、そして不気味な何かだった。まるで蛇がぬるぬると地を這うように、気持ちの悪い音を発しつづけている。
それは池の底から響いていた。
「……何だ?」
真は焦りながら池の底を見つめると、どこからともなく声が聞こえてきた。先ほどと同じ声だった。
(一人では寂しかろう、苦しかろう)
低い声が言った。それと共に、池の水がたぷりと波うち、重たく冷たい飛沫をあげる。
「誰だ、どこに隠れている?」
(ずっと探していた。そしてやっと見つけた)
「何の話をしているんだ?いいから姿を、姿を見せろ」
(……言われずともそのつもりだ、“草薙姫”)
「え?」
どろどろとした池の水が激しく波打つと、不気味な大音響と一緒に、砕けた黒い波の飛沫が飛んで来た。 すると飛沫をかき分けるようにして、奇妙な影が生じる。それは薄気味悪いほど巨大で、異様に長い蛇の影だった。
……そう、真っ白い大蛇だった。
『やっと、やっと見つけたぞ、草薙姫』
大蛇の全身が反り返り、真めがけて襲いかかる。そして雷鳴のような声が轟いた。
(お前は、いや、そなたは私のもの!そなたの全ては私のものだ!そなたは従い、務めを果たすのだ!)
「ひっ!?」
真は逃れようとしたが、その次の瞬間には、彼女は腕をつかまれて引っ張られ、大蛇が首に巻き付いていることに気付いた。 身体中がおかしかった。浅く、速い呼吸しか出来ない。喉が乾いているせいで、声も出ない。心臓が破れてしまいそうなほどの速さで鼓動を打っている。何も考えられなかった。
大蛇はとどめを刺すように叫んだ。
『そなたは逃れられぬ!これが、これこそが運命なのだから!』
「やっ……やめっ……あああっ」
真は助けを求める間もなく、すさまじい水音とともに池に引きずりこまれた。それでもなお拒んでいたが、やがて諦めたように整った顔が苦悶に歪む。
(――真!)
……誰かが自分を呼んでいる。
(待ってくれ真!)
その声は絶え間なく告げる。まるで予感あふれる光をともすように、ひっそりと心の中へと流れ込んできた。その声の主を知っている。どんなことがあっても忘れるはずもない。
草薙が呼んでいるのだ。
「草薙く……」
真は手を伸ばそうと力をこめてみたが、身体は石のように硬くなっていた。草薙の声がゆっくりと、しかし確実に遠くなる。まるで蜃気楼のように実体なきものに思えた。それ以上のことは考えられなかった。いや、そんな余裕すらなかった。
だからこそ、残った全ての力を振り絞るように真は叫んだ。
「た、たすけて、草薙く――」
その刹那、草薙と目を合わせたが、真はそのまま、池の底へと引きずりこまれた。
●草薙梅子は戦争が好き
最新の8Kテレビが映し出しているのは、ひどく荒っぽいモノクロの映像だった。映像が乱れてしまうのは、電波の出力がその程度だということである。
まあ、場所が場所なだけに、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。
見栄えはかなり悪いものの、見れないわけじゃない。テレビに映し出されていたのは、これといって面白みのない夜景だった。
なんかこう、女の子たちが喜ぶネオンがキラキラするインスタ映え要素は全くない。とんでもないぐらい真っ暗闇な夜景である。何も知らない人間が見たら、放送事故だと勘違いするレベルだろう。
事実、とある本丸の中年親父は、完全に放送事故だと思いこんでいた。テレビが故障したのかとも思ったらしく、彼は近侍のにっかり青江を呼んで、あれやこれやと騒ぎはじめていた。
それでもまあ、画面の隅に『NHA LIVE』とでているところから、日本(時の政府)最大の報道機関の生中継だということがわかる。
とある本丸の中年親父とにっかり青江が、眉を潜めてチャンネルを変えようとした瞬間、画面で変化が生じた。
カメラのフラッシュのような光が次々とあらわれては、地上に向けてゆっくりと落ちていく。それらは真っ黒に染まる地上を、スポットライトのように照らしだしてく。
やや興奮気味の美人アナウンサーの声が、情景を説明する。
「ご覧くださいっ!時の政府はついに攻撃に踏み切ったようですっ!発光体を内蔵した特殊な弾丸、曳光弾が夜の戦場を照らし出してゆきますっ!なんという光景でしょうっ!……あ、あ、お待ちくださいっ!」
美人アナウンサーの声がとぎれると同時に、地軸そのものが揺れるような振動が響きわたった。
「なんということでしょうっ!時間遡行軍が妨害弾を発射しました!すさまじい攻撃です!ついに我々は……」
だんっ、とマスカラをほうり投げる音がなり響いた。つづいてビューラー(まつげをボリュームアップする魔法道具ですな)を投げ捨てる音。なんつーかその、あの、世の男どもをドキドキさせちゃう可愛らしい声が響いた。
「ねぇ石ちゃん~、このババア何が面白くて話してんのぉ~?」
「こらこら……女性に向かって乱暴な言葉を使うものではないよ……」
額に浮いた汗を拭いながら応じたのは、石ちゃんこと石切丸である。主の暴言はいつものことだが、近侍として叱らないわけにもいかない。
「このおばちゃん、自分のこと軍事アナウンサーとか名乗ってんだけどぉ~……ありえなくな~い?」
と、かなり若い(どころじゃない)女の声。いやなんつーか、鼻についた声なんだけども、それがまた可愛い。もうたまらん、たまらんという感じなのだ。
「こらこら、おばちゃんも失礼だと思うよ」
「だったらぁ~、テレビの視聴者に分かりやすく軍事を教えるのが仕事だよねぇ~?」
「そうだね……」
「でしょ~?てかさぁ、こんなつまんない弾薬の話とかありえなくな~い?みんなが知りたいのはぁ、遡行軍との戦いがどんな感じで、これからどうなる感じなのか……そういうのを教えるのがおばちゃんアナウンサーの仕事でしょ~?」
「……ああ、そうだね。君の言う通りだ……あ、だからおばちゃんというのはダメだよ……」
石切丸はゆっくりと頷いて、部屋に散乱したメイク道具を片づけていく。それでも部屋はきれいにならない。それもそうなのだ。なんかまぁ、キラキラしたファッション雑誌やら、美容グッズやら……いかにも女の子って感じのものが、ゴミみたいに転がっている。
かと思いきや、壁には男の子たちが喜びそうな軍用地図やら、なんかよく分からない設計図やらが、ベタベタと貼り付けられていたりする。そしてどう考えても女の子が読むもんじゃない戦術の専門書などが、漫画みたいに積み上げられている。
まともな女の部屋じゃない。ここは魔窟だ。
「“あたしこんなに知ってるのぉ~”って感じぃ~?こんなのつまんなぁ~いっ!」
そう言って立ち上がったのは、完璧にメイクを仕上げた美少女である。
あ、美少女は美少女なんだけども……黒髪ツインテールの清楚で愛くるしい美少女(これは筆者の性癖ですな)とはタイプが違う。
くもりひとつない金髪をツインテールにして、小生意気そうな顔をキラキラとさせている。大きな水色の瞳(たぶんカラコンだろう)は生き生きとした色がある。んで、胸やらお尻やら太股はこれ以上ないってほど弾力があるのだが、肩幅はいかにも女の子って感じなので、たまらぁーんなのだ。
彼女が身に付けている洋服も、これまたたまらんなのだ。
華奢だけどマシュマロみたいにやわらかい体を包み込む白のワイシャツと、ピンクのカーディガン、それから発育の良い乳房を彩る赤のスクールリボンといういかにもJKなファッションだ。
むちむちの太股を見せびらかすような赤チェックのプリーツスカートなんか、学校の先生が表向きは怒って内心では喜んでしまうぐらいにエロい。
要するに彼女、ご期待を裏切らないフェロモン全開なギャルだった。
なんだけど、言っていることはちょっと物騒である。
「石ちゃんそれでぇ~、戦況ってどんな感じなのぉ~?あたしみたいなエリートには教えてくれるでしょ~?」
「先ほど、時の政府から極秘で連絡が入った。……これだね」
石切丸はさっと急使がもたらした書状を差し出した。こんな紙きれに税金いくら使ったんだってぐらい贅沢なし上がりで、どこからともなくお香の匂いが漂ってくる。
「ふ~ん……」
遡行軍の本拠地、その壊滅作戦が失敗に終わったことを知らせる書状を目にするや否や、ギャルの口からほーっと吐息が漏れた。
するとほっそりとした手に力がこもり、彼女はわなわなと震えだした。
「ねぇ、石ちゃん……」
どういうわけか、ギャルの声は震えていた。
「あああ~っ!、ちょ~ムカつくぅっ!」
とてつもない大声で叫んだギャルは、勢いよく書状を引き裂いた。ああ、税金が……。
「ちょっとありえなくな~い?ほぼ同数の敵に戦って勝てないって信じらんなぁ~いっ!時の政府ったらも~っ!戦争はゲームじゃないのにぃ~っ!」
「そうだね」
幼い頃から付き従っている石切丸は、心得た様子でうなずいてみせた。そんな彼の傍らで、ギャルは子供のように地団駄を踏みまくる。
「だ~か~らぁ~っ、だからアタシが軍を率いてあげるって言ったのにぃ~っ、も~、なんで負けちゃうのぉ~っ!ありえないんだけどぉ~!」
ギャルは足を放り出してを靴を脱ぎ捨てた。吹っ飛んだ靴が、草薙家の家紋入り陶器を粉砕する。
「こらこら主……君は由緒正しい草薙山神社の跡取りなんだから……」
「あ~んっ!もうもう~っ!なにもかもアタシが準備を整えてあげて、こんな感じで戦えばいいってとこまで教えたのにぃっ~!ムカつくぅっ~!」
「御祭神であらせられる草薙大蛇様、日本武尊(ヤマトタケル)様の名に恥じぬように……そして神職に携わる者としての謹み深さをだね……」
「悔しい悔しい悔しい悔しい~っ!」
「…………」
石切丸は黙りこんだ。ギャル……草薙は美少女であることに間違いないのだが、中身はメチャクチャ(どころじゃない)であった。短気だし傲慢。勝ち気だし、根性まがり。それをまぁ、草薙家の跡取りということで我慢していたストレスから、こんなことになってしまった。
草薙家のルール破ってサラ艶な黒髪を金髪に染めちゃったり、清楚で愛くるしい美少女イメージを粉砕してギャルに目覚めちゃったりと……要するにグレたわけですな。
しかもそれが自分にピッタリだと気づいてしまったもんだから、もうどうしようもない。彼女を娘のように育てていた石切丸もお手上げである。
「大きくなったら石ちゃんのお嫁さんになるのー!」と抱きついてきてくれたあの頃がなつかしい状態で、彼はため息をもらした。
しかもまあ、それだけじゃないからお手上げなのだ。
「そりゃアタシみたいなエリート神社の娘が最前線にいけないのは仕方がないと思うんだけどぉ~……でもアタシも審神者だしぃ~っ、やっぱりエリート神社の娘としてはさぁ、軍の指揮権ぐらいあってもおかしくなくない~っ!?アタシが戦争の天才なの、時の政府は分かってるでしょう~っ!?」
戦争の天才、というのは真実なのであった。あ、別に勉強が大得意とか、IQ400のスーパー名探偵並のスペックがあるとかではなく、草薙は戦争についてだけは異常なほどの才能を持っていたのである。
そういうわけで、16歳のこの年まで、愛だの恋だの、デリケートに恋してだのみたいな感情を抱いたことはない。せいぜい初恋は石切丸ぐらいなもので、それ以上のことはない。
思わずドキドキしちゃう少女漫画とか、水もしたたるイケメン俳優主演の恋愛ドラマを見るより、戦争の方が何万倍も大好きなのだ。
草薙の父が出陣した池田屋事件、その作戦計画を立案したのが6歳の時であるから、常人ではない。
「だいたいさぁ~っ、戦争のことなんて右も左も分かってない社家の人間に軍権があるっておかしくなくない~っ?スピリチュアルで戦争に勝てるわけないじゃ~ん!戦争にスピリチュアルを混ぜないでよぉ~っ!」
「こらこら、君も社家に属する娘だろう……」
「もぅ~っ、分かってないなぁ石ちゃんは。戦争にスピリチュアルなんて混ぜたらヤバイんだってぇ~っ。戦争はリアルなんだよぉ。政治なの、政治っ!お金いっぱい使うし、人間を殺したり殺されたりしちゃうの。それを上手に調整しつつ、敵がたくさん死ぬように考えるのが大事なんだよぉ。神様とか天使とか聖女とか魔女とか魔術師とか、そういう妄想をトッピングした戦争はいっつもえっぐい終わりかたしてるんだよぉ」
「では、私の存在はどう説明する気だい?」
石切丸は目を細めた。
草薙はロマンチストと見せかけて、実は筋金入りのリアリストである。自分が総理大臣なら、社家の人間たちから軍権を取りあげる。拒否するなら追放するとまで言うほど、神秘的なものが大嫌いなのだ。
そうなってくると、石切丸たちの存在がどうなってしまうのか。
「ん~っ突然変異じゃないっ?付喪神も、時間遡行軍も、検非違使も。てかそれくらい割り切らないと、スピリチュアルみたいなキモイ妄想を戦争にトッピングすることになるしぃ~っ。……そんなんで殺されちゃう善良な人たちが可哀相だよ」
そう言うや否や、草薙はどんどん壁を叩きつけた。そこには壮大な日本地図が貼り付けられており、解読不可能な文字が大量に書かれている。石切丸詳しくは知らないが、草薙の考える戦略図の一つらしい。
どういう戦略なのかは、石切丸も分からない。
「とりあえずなんとかしなきゃだよねぇ~っ。まず全体戦略の修正とかぁ~……あとそれから~……ん~と……」
たおやかな指を折っているさまは、とんでもないぐらい可愛らしいのだが、口にしているのは物騒きわまりない。しかもなんか、目をギラギラとさせている。
「軍事費の不足を補うためにどこか削らないとぉ~……やっぱり福祉かなぁ~っ……ああ、でも伊集院の老害バハアたちがうるさそう~……あそこプライドちょ~高いしぃ~っ。まあその前に、賄賂とか汚いやり方でお金稼いでるあいつとかそいつとか……幽閉せちゃえばいいかなぁ~っ……そうすれば遠征1回分は費用はどうにかなるかも~っ!」
草薙は弾むような足取りで、机に駆けよる。キラキラにデコされた実用性がまるでないペンを手にして、なにかを書きはじめる。
何を書いているかは、石切丸でも分かりきっていた。
どーせろくでもないことに違いないのだ。
もちろん咎めるつもりはない。というより諦めていた。言葉で説き伏せられるような女の子なら、今ごろきっと楽しくてウハウハな恋愛祭に突入していることだろう。
そういえばこの間の審神者会議で、黒髪ツインテールの清楚な美少女とにっかり青江が、胸やけするぐらいイチャイチャしていなぁ、とどうでも良いことを考えていたりする。
お疲れさんですな、石切丸さん。
「ああしてこうして~っ戦争せんそ~うっせんそ~っ!」
とまぁお疲れ気味な石切丸を無視して、えらく物騒な歌を口ずさむ草薙だった。