ガルマ司令と下っ端少尉
​■ガルマ司令と下っ端少尉・登場人物

ガルマ司令と下っ端少尉のお話

 

城丸少尉

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・17歳/159㎝/O型/ジオン公国軍 少尉
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  • 兵站分食糧班・戦闘配食第二席食糧隊長(食糧運搬係)

  • 軍人としての才能が皆無に近い。

  • 部下達と共に食糧を配り続ける事しか出来なかったが、まさにその勇敢な行為(本人に自覚はない)によって部下やガルマの敬意を得る。

  • 後にガルマより与えられた「ジオン名誉勲章」によって、さらにそれが強まる。

  • 上官であるガルマを心から尊敬しており、彼の為なら普段の本人からは想像も出来ないほどの果敢で非情な行動をとる。

  • 母が地球出身である事を理由に差別を受けてきた。

 

ガルマ・ザビ

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・20歳/173㎝/ジオン公国軍 地球方面軍司令官大佐
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  • ジオン公国を統べるザビ家の四男であり末弟。

  • 地球方面軍を任される若き司令官。

  • 母親似の甘いマスクで、ジオン国民からはアイドル的人気で支持されていた。

  • シャア・アズナブルとは士官学校時代からの親友である。

  • ナイーブで繊細な性格。人を疑う事を知らない為、周囲からはザビ家の坊ちゃんと呼ばれている。

  • 地位を利用した傲慢さがなく、努力するその姿はジオン国民から高い人気を集めている。

  • 戦場で食糧を配り続ける城丸の勇敢さに心打たれ、部下として目をかけている。

  • 自分を心から尊敬してくれる城丸の信頼を裏切りたくないと思っている。

 

山田

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・52歳/170㎝/ジオン公国軍

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  • 地球出身のジオン公国軍人で、ガルマ直属の部下。

  • これといって特徴のない顔をした中年男。

  • 妻と娘がいたが、とある事件で亡くなっている。

  • ガルマを心から慕う者の一人。

  • 娘はガルマのファンだったらしい。

ダロダ

  • ガルマ直属の部下。

  • ガルマを心から尊敬する者の一人

​●ガルマ司令と下っ端少尉1

どんな場所であろうと、食糧班が暇になることはない。

 

たとえ戦時中であっても、人は食べなければ生きていけないのだから言うまでもない。

 

ジオン公国の第二次地球降下作戦による攻撃は北米地域を覆っている。星の光すら見えなかった夜空に突然、閃光が流れ落ちた。一つだけではない。一定の感覚を置いて、ギラギラとした輝きが生じ、ゆっくりと落下していく。

 

曳光弾(えいこうだん)と呼ばれる光輝く弾丸が、何機かの航空機から放たれたのだ。その無数の弾丸が合図だったかのように、飛行機の胴体部分に存在するハッチが開き、中からザクが空中へ飛び出した。

 

あらかじめ設定された時間間隔をあけて、ザクはパラシュートを展開させる。それを巧みに操りながら、曳光弾の道筋に従って安全な地表へと着地する。そして、計画通りの分隊を組んで侵略を開始した。

 

「食糧将校殿!動いてはなりません!」

 

伍長は叫んだ。連続して起こる爆音と轟音のなかで、彼は上官の腕をしっかりと握った。上官はひどく切羽詰まった、まったく落ち着きのない声で応じた。

 

「で、でも」

 

城丸と呼ばれる若い娘だった。これでも一応、ジオン公国陸軍少尉に任じられている。今日の役回りは空母ガウ(大気圏内用大型輸送機)の兵站分食糧班の戦闘配食第二席食糧隊長だった。

 

要するに、飯や副食を兵士どもに郵送する指揮官、その下っ端の中の下っ端ということになる。全てのジオン公国陸軍将校が望んで着任したがる役職ではなかった。

 

長期戦を視野に入れたジオン公国軍は異様な形で兵站が発達していたのだ。侵略後は現地徴発へと変えていく計画だが、それでも、ジオン公国軍では戦闘配食なる仕事がなくなることはない。

 

「でも糞もありません!ザクが地球に降下してるあいだは、誰も飯なんぞ食えません!」

「いやでも、に、任務が」

 

食糧を背負った城丸が言った。顔面蒼白、膝は情けないぐらいにガクガクと震えている。今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、呻くように続けた。

 

「でも任務だし、運ばないとじゃないですか……運んでなんぼじゃないですか、ね……」

「なっ……」

 

伍長を含めた兵士たちは、侵略作戦を忘れてため息をもらした。

 

城丸は見た目はそこそこ整っているが、かといって何か良いところがあるわけでもない。まあ十人並よりは美人であるが、特に目を惹く美しさではない。戦闘中だからだろうか、情けないぐらいに挙動不審になっていた。特徴的な茶髪のポニーテールはボサボサである。両親が地球出身ということで、出世は望めない。

 

何でこんな娘が軍人やってんだ。それが、第二食糧班の兵士全員の意見だった。

 

「食糧将校殿……」

「や、やっぱり任務を遂行します!」

 

爆音によって揺れる空母のなかで、城丸は悲鳴のような声をあげた。

 

「ですからこんな時に飯なんて誰も」

「分かってますよ、分かってるんですよそれは。でもですね、配らなきゃ配らないで大変なことになるじゃないですか。だったら配らなきゃじゃないです

か」

「は、はぁ」

「ジークジオン精神で頑張らなきゃじゃないですか……!」

 

城丸は気合いを入れるように空母ガウの壁を殴り、重い腰をあげた。が、再び爆音。すべてが揺れ、地軸を揺らすような振動が生じた。城丸は情けない悲鳴をあげるが、かろうじてその場に踏みとどまる。サッと兵士たちを振り返った。

 

皆、ひどく呆れ返ったような、ポカンとした顔つきで年若い上官を見つめていた。

 

地球という未知の世界で繰り広げられる侵略作戦。多数の砲台や防護壁、地形などによって守りを固められ、激戦を余儀なくされているこの戦場で、城丸は食糧を背負って走り出そうとしているのだ。

 

それを勇気と称すべきか、はたまた無謀と称すべきか、兵士たちには判断が出来なかった。ただ、露骨な怒りをあらわしている者はいない。あまりにも間抜けな顔をした城丸の顔がすべてを中和していた。

 

「本気ですか」

「に、任務を遂行する、遂行する、遂行する。じ、ジーク・ジオン!」

 

城丸は弱々しい声で兵士たちに命じた。

 

地球降下作戦。宇宙から戦力を送り込み、地球へと降下するこの作戦によって、地球全土が戦地と化した。そんな激戦のなか、あまりにも奇妙な情景が出現した。古参の兵士でさえ悲鳴をあげるさなか、ひどく間の抜けた顔をした将校に率いられた兵士たちが、食糧を背負ってガウ内を走り回っていたのだ。

 

城丸は常にその先頭に立った。

 

怖いどころの話ではなかった。爆音が生じれば情けない悲鳴をあげ、血だらけの兵士が倒れてきた時は迷うことなく絶叫して泣いた。しかし任務を中断することはしなかった。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっても、年若い娘の声とは思えない悲鳴をあげても、両腕をふりまわしながらガウ内を走り回った。

 

×××

 

全てが終わったあとで、ガルマ・ザビは部下のダロタ中尉と供に空母ガウを巡回していた。

 

「お見事です、ガルマ司令」

 

ダロタが褒めた。ガルマは大きく垂れた前髪を撫でながら、視線をダロタの方へ向けた。かれは真面目な顔でうなずいている。

 

「まさに教範そのものの降下作戦でした。損害も最低限です」

 

ガルマは何も答えなまま、前髪を指で触り続けていた。軍人というよりは、育ちのよい坊ちゃんのような印象を受ける、中性的な美男子だった。そんな彼にも想像力というものがある。このような大規模かつ広範囲な侵略作戦を続けたらどうなるか見えていた。

 

現状を維持出来たとしても、戦力は減少していく。侵略作戦は、敵だけでなく資源そのものと戦わねばならない。

 

理屈としてはガルマもよく分かる話だった。戦争の長期化は、資源が圧倒的に不足しているジオン公国にとって、国家の心臓部に入り込まれたも同然だった。であるから、最大限の兵力を投入した地球降下作戦はもっとも有効な作戦のひとつに違いなかった。だがしかし、いくら気を付けていても物資は必ず減っていき、兵は戦死その他で戦線を脱落していく。

 

そうした事情は敵も同じではあるが、地球連邦軍には増援というものが存在する。宇宙を戦場としたルウム会戦から敗北を続けているにも関わらず、地球連邦軍の精強さに何の変化もなかった。それどころか、以前よりも統制がきいているという印象すらある。

 

このまま戦争が長期化し続けたら――。

 

ガルマは考えるのを止めた。頭に強い痛みが生じたのだ。それと共に、生々しい戦場映像が彼の脳裏に浮かび上がる。すぐにそれを打ち消した。地球降下作戦の最高司令官として、またジオン公国を統べるザビ家の男としての演技を続ける必要があったからだ。それを止めてしまえば、ザビ家の権威失墜につながり、ジオン公国への不信感を兵に抱かせる。

 

ガルマは唇を噛んだ。自分がお飾りのプリンスでない事を兵に示す必要があった。そうすることで、愛する祖国に利益をもたらせる。

 

そして何人もの兵士たちが戦場の荒廃に身を横たえることになるのだ。何故ならこの戦いはひとつの国家の――宇宙移民者であるスペースノイドそのものの命運をかけているのだ。

 

こめかみの血管が痙攣し、心臓が嫌な高鳴りを起こしている事を自覚しつつガルマは思った。

 

その全てが、自分の肩にのし掛かっている。いまはそれに慣れるしかない。いや、慣れに頼るしかないのだ。何故なら――。

 

と、まったく場違いな――ひどく陽気で賑やかな声が響いてきた。ガルマはそちらへ視線を向けた。食糧を背負った食糧班の兵士たちだった。何人かで将校を背負っている。年若い女将校はぐったりしていた。

 

ガルマは目を細め、ダロタに尋ねた

 

「何事だ」

「地球降下作戦が決行しているさなか、飯を配って走り回っていたそうです」

 

ダロタの顔面には苦笑が刻まれていた。ため息をつくように続ける。

 

「指揮官先頭で走り回っていたものの、配り終えたとたん、その指揮官が気絶したそうで。負傷したわけではないようですが、気絶した際に顔面から倒れたせいで鼻血を出しているとか」

「名前は確かめたか」

「城丸少尉、陸軍です」

「どんな娘だ」

 

ガルマは、鼻血を出しながら情けなく気絶している娘を見つめながら尋ねた。ダロタは素直に驚いた顔をしてみせた。この美しい青年が、魅力的とは言い難い娘に対して純粋な興味を示したことが意外でならなかった。まさか、ああいう娘が好みなのか。おいおい嘘だろ、ザビ家のプリンスと名高い美貌の御曹司の趣味にしちゃ――。

 

「どんな娘だと聞いているのだが」

「はっ、ひどく間の抜けた娘です。十七になりますが、幼く見えます。正直なところ、何であんな娘が将校になれたのかよく分かりません。数少ない将校でありますから使っていますが。戦時中でなければ将校になどなれるはずも――」

「タロタ、それは早計ではないか」

 

ガルマは言った。前髪をサラリと撫でる。

 

「いくら任務とはいえ、古参の兵士でさえ悲鳴をあげた激戦のなか、食糧を配り歩くのはかなりの覚悟だ。あとで、様子を見てやりなさい。良いな?」

 

上官の表情を見て、ダロタは微かな狼狽の色を浮かべ、了解致しましたと答えた。そこでようやく、かれは自分の上官があの間の抜けた娘に興味を抱いているか分かった。

 

そう、激戦のなかで健気に食糧を配り続けた城丸少尉の勇気を評価しているのだ。まだ子供というより他はないあの娘は、自身が示した勇気の価値に気づいていない。無知というべき娘のそれを、ガルマは純粋なるものとして受け取ったのだ。

 

この簡単な答えに気づくまで、女として娘を意識しているのではと思いかけた自分をダロタは恥じた。考えてみれば、この上なく美しい女たちをも虜にするガルマが、今さらあのような娘を気に入るはずがないのだ。

 

そういうことにしておこう。

​●ガルマ司令と下っ端少尉2

軍隊はけして眠らない。

 

いついかなる時でも、必ず誰かが軍務についている。今もそうだった。深夜にも関わらず、巨大なモニタースクリーンの前には、兵士達が交替で当直勤務についている。一人は最新鋭の通信機を用いてジオン本部と連絡を行い、もう一人は空母ガウに不備がないかメンテナンスの仕事をこなしている。そしてもう一人は、敵部隊の索敵任務に従事していた。

 

当直勤務用のベットには何人かの兵士たちが仮眠を取っている。侵略戦は消耗の大きな戦いになるため、なるべく休むようにしているのだった。

 

それは地球方面軍司令官のガルマ・ザビも同じである。彼は戦いが途切れたわずかな時間を利用して、司令官室で短い休息をとっており、直属の部下であるダロタ中尉が代わりに仕事をこなしていた。

 

……扉がゆっくりと開かれた。鼻に巨大なバンドエイドをつけた、女将校が顔をだした。若い――否、若いというよりは幼い顔をしている。

 

ひどく間の抜けた印象を受ける彼女の背後には、パンやスープを抱えた部下が待機していた。ジオン軍では、将校が配置された部隊には将校が配りに行かねばならないという決まりがあった。

 

仮眠を取っていた兵士たちが一斉に呻いた。若い女将校はビクリと身体を震わせ、不安げな声を発した。

 

「お、お疲れ様です……!城丸少尉であります。あ、その、配食を届けに参りました……!」

「ご苦労」

 

ダロタはサッと立ちあがり、城丸の肩を掴んだ。彼女の部下に視線を向ける。

 

「そこへ置いておけ。……城丸少尉、ちょっと相談がある。廊下へ来い」

「は、はぁ」

 

ダロタは扉を開けて、そのまま部屋を出た。辺りに兵士がいないことを確認すると、城丸を壁際に追いやって壁に両手をつけた。押し殺した声で言う。

 

「少尉、貴様はバカか。兵士たちが仮眠を取っているこんな真夜中に、大声を出す奴があるか。しかも飯の匂いまで嗅がせやがって。気が散ってかなわないじゃないか。部屋の外へ置いておけ!」

「は、はい、申し訳ありませんでした、すいませんでしたぁっ!」

 

城丸は真っ青になりながら答えた。特徴的な太眉を痙攣させながら、よろよろと壁にもたれかかった。ダロタの気迫に圧倒され腰が抜けたのだ。ダロタの表情に蔑みの色が浮かんだ。小さくため息をつく。何でこんな娘が軍人になれたのだと疑問に思ったが、それでも数少ない貴重な将校なのだと思い込むことにした。

 

次からは気を付けろと言って、ダロタは扉を開けて部屋に戻ろうとした。報告が発せられたのはその時だった。敵部隊の索敵任務をこなしていた兵士からだった。

 

「ダロタ中尉殿!敵機多数、ガウに接近中。来襲まで三十分あまりと思われます!」

「全部署に警報!寝ている兵士たちを叩き起こせ!伝令、伝令はどこか!あ、奴は負傷していたか。ええい、仕方がないっ……!」

 

ダロタは振り返った。今度は城丸の胸ぐらを掴んで、怒鳴り付けた。

 

「少尉、司令室の場所は分かるな!?ただちにガルマ司令に報告せよ!いいな、敵機多数接近、三十分で来襲の公算大。わかったな。敵機多数接近、三十分後、この二つだけは必ずお伝えしろ!」

「は、はい!」

「返事は良いからさっさと行け!」

 

ダロタは城丸を突き飛ばすように押した。城丸は転びそうになりながら廊下を駆け出した。司令室は同じ階の端にある。その距離五十メートルほど。

 

城丸は全力で走った。将校用の剣を腰に付けたまま走ったので、剣がガチャガチャと音を立てて揺れている。 準備運動もせずに走ったせいか、太股が裂けるように痛かった。それを無視して走った。靴音が響く。当直についていた将校や兵が何事かと顔をだす。かれらは城丸の悲鳴のような声を耳にした。

 

「敵機多数接近、三十分後!敵機多数接近、三十分後!敵機多数接近、三十分後!」

 

かれらに聞かせるためでない。忘れないために繰り返し口走っているのだ。しかしそれだけで充分だ。かれらは城丸の言葉を耳にするや否や、大慌てで剣と短銃をひっつかんで、伝令を走らせた。みずから走り出す者もいた。

 

無事、司令室についた。

 

正確に言うと、足がもつれてそのまま顔面から転んでいたが、城丸は気にせず扉を開けた。緊張のあまり指をくじいてしまう。脚も指も顔も痛い。室内へ叫ぶ。

 

「ガルマ司令!報告があります……!」

 

城丸はのけぞった。ひどく場違いな印象のクラシック音楽が流れていた。モーツアルトの名曲として名高い交響曲だったと思うが、正確な曲名は分からなかった。神々しくも優雅な雰囲気を漂わせながら、室内を満たしていく。

 

その美しい音の先に、上衣の前を閉めているガルマがいた。鏡の前で身なりを整えている。彼の行動の素早さに城丸は驚いた。警報が鳴り始めるまで、彼は眠りについていたはず。深夜という点から考えても、いくらか不機嫌で、むくんだ顔をしているのが当然のはずである。しかしガルマはいつもと変わらず、上品な甘さを漂わせたまま、戦闘に向けて静かに準備を進めていた。

 

そんな彼がどこまでも控えめに、しかし眼光だけはますます鋭さを増しつつ言った。

 

「城丸少尉、報告したまえ」

「……はっ、はい!」

 

城丸は背筋を伸ばした。司令が自分の名前を覚えていることに驚きを覚えたが、それを深く考えている余裕はなかった。あわてて声を発する。うわずり、震えてはいたが、充分に大きな声だった。実のところ悲鳴に近かった。

 

「ダロタ中尉殿より報告、敵機多数、三十分後!」

 

ガルマの整った唇がわずかに痙攣していた。満足げに頷いて、城丸の方をサッと振り返る。美青年と称すべき整った顔をしているが、ここ数ヵ月の間に地球方面司令としての厳しさが添加されている。

 

「了解した。ご苦労。戻ってよろしい」

「はい!」

 

城丸はコクコクと頷いた。ぎくしゃくしながら回れ右をした。背後から声を掛けられる。

 

「城丸少尉、君の鼻はどうなっている?」

「……は?」

 

城丸は拍子抜けしたような顔をした。何を言われているのかよく分からなかった。眉を潜める。ガルマは大きく垂れた前髪を撫でながら、もう一度尋ねた。どういうわけか彼女の肩に手を置いた。

 

「私の質問が聞こえなかったのかな。君の鼻はどうなっているかと訊いているのだが」

「は、鼻でありますか……?」

「そう、鼻だ。分からないなら触ってみたまえ」

 

ガルマは大真面目だった。城丸は鼻を触ってみた。ザビ家のプリンスと謳われる青年が自分を見ていることなど気にならなかった。指で何度も鼻を触る。指を伝う生ぬるい感触に心が凍りつく。嫌な予感が脳裏をかすめる。おそるおそる指を確認した。おぞましいほど真っ赤な血が指に付着していた。

 

「……は、鼻血です」

「うん、鼻血だ。君はまた転んだようだな。気を付けたまえ」

 

城丸はあっという表情になった。ガルマは目を細め、胸ポケットからハンカチを取り出す。それを城丸に差しだし、意味ありげに微笑んでみせた。

 

「きちんと配食指揮をとりたまえ。さ、何をしている。鼻を拭ったら戦争だ、急げ。いや、その前に音楽を止めておいてくれ」

 

ガルマは意味もなく前髪を撫であげた。

 

×××

 

家族であろうとも、寝衣のままで顔も洗わず、髪も整えずに人と会うことはあってはならない。

 

どのような時でも必ず身支度を整えてから対面すること。ガルマ・ザビは物心つく前からそう教えられてきた。敵襲を知らせる警報が鳴り響いた時もそれは変わらない。彼は警報を耳にすると同時にサッと飛び起き、身なりを整えている為に顔を洗った。眠け覚ましの音楽をかける。

 

モーツアルトの名曲「四十番」の美しい音楽に紛れて、兵士たちの怒声が聞こえてきた。部屋の外で、装備がガチャガチャとなっている。敵襲に備えて兵士たちが駆けているのだ。

 

ガルマは鏡の前に立った。鏡に映った自分の顔と対面しながら、見事に折り目のついた第二種軍装を着用する。上衣の前を閉めようとした時、自身の変化にようやく気がついた。

 

ボタンを握った指が震えている。

 

「―――っ!」

 

視界が突然曇った。ガルマは唇をキュッと噛みしめる。外では警報が鳴り響いている。背筋が震え、手足が強ばった。ガルマは拳を握りしめた。この衝動から逃れるためにも、と努力したが、代わりに思い浮かぶのはロクでもないことばかり。この戦争が悪化してゆく架空の、しかしリアルな想像ばかり。

 

そこにはもちろん自分の姿もある。戦争に負け、ジオン国民の多くが死に、その責任を問われている姿だ。そこには亡き母もいる。ただ、悲しげに見つめていた。そのこの上なく悲しい表情が、自分の心を痛めつけた。

 

「……くっ」

 

ガルマは呻いた。心臓が痛くて仕方がなかった。このまま幼子のように泣き叫べるならどれだけ幸せだろうと思った。ジオン公国を統べるザビ家の男としての自覚はあっても、全てに納得が出来ているわけじゃなかった。

 

ジオン公国を率いて戦うことが怖くなっていた。

 

というよりも、国を率いて戦うことに恐ろしさを覚えていたのだ。自分の命令を受けたものたちが傷つき苦しみ倒れている間も冷静さを保ち、計算しつづけ、戦果を拡大するためであれば、さらに誰かが死ぬことになる命令をだす。

 

勝利の日までそれを永遠とつづける。

 

僕にそれが出来るのか、とガルマは心の中で呟いた。司令室にこもった後に届けられた報告書に目を通す。そこには戦争がどれほど多くの命を消費しているか、詳しく記されている。

 

この事実をどう受け止めれば良いのか、ガルマには分からなかった。ありとあらゆる夢や希望を持った若者たちが、ガルマ・ザビの名でくだされた命令で死地におもむき、彼の名を叫んで死んでいくのだ。

 

自分の夢や希望を果たすこともなく。

 

「……僕は情けない男だ」

 

ガルマは苦笑した。指はまだ震えていた。子供の頃から、彼は人との争い事を好まなかった。家族間の争いが絶えないザビ家の男だが、人を信じることを好み、純粋であろうとした。そんな彼が他人の命を左右できる現実を前にして、耐え難い重みを感じないはずないのだ。

 

ガルマ・ザビは栄光あふれるザビ家の坊ちゃんなのだ。人間であることを止める事は出来なかった。

 

……ドンッ、という大きな音がきこえた。

 

ガルマは目を見開いた。長い廊下の向こうから、女とは思えない叫びと全速力の足音が近づいてくる。荒々しいノックの音が響き渡る。体の震えを隠すため、ガルマは鏡を見つめたまま、どうぞと言った。

 

「ガルマ司令!報告があります……!」

 

鼻に巨大なバンドエイドをつけた城丸少尉が入ってきた。どういうわけか泣きそうな顔をしている。走った時に転んだのか、鼻血がどくどくと流れていた。本人は気づいていないらしい。彼女はジッとこちらを見つめていた。

 

突然、笑いだしたくなった。鏡越しから、彼女の顔を見ているうちに奇妙なおかしみを覚えたのだった。目尻と口元がひきつりそうになる。ガルマはそれを押さえ、上衣の前を閉める。いつの間にか指の震えが止まっていた。

 

「……了解した。ご苦労。下がってよろしい」

「はい!」

 

報告を終えた城丸はコクコクと何度も頷いた。ぎくしゃくしながら回れ右をして、ゆっくりと歩きだす。その小さな後ろ姿を見ているうちに、鼻血を出したまま歩かせるのはどうだろうと、ガルマは今さらながら思った。きっと兵士たちの笑い者になってしまうだろう。それは何だか可哀相だ。彼女だって年頃の娘なのだから。いや、僕がそこまで考えてあげる必要はないんだけど。

 

「――城丸少尉、君の鼻はどうなっている?」

 

ガルマは咳払いをして、尋ねた。城丸は拍子抜けしたような顔をして振り向く。鼻血さえなければ、それなりの美人で通りそうな顔をしている。十七歳のはずだが、見かけはそれよりも幼く見えた。もちろんそれを口にするつもりはない。地球方面司令ガルマ・ザビの仕事ではないと判断しているからだ。

 

ガルマは大きく垂れた前髪を撫で、城丸の前に立った。彼女ははた目から見て取れるほど緊張している。ガルマは落ち着かせてやろうと思って、その小さな肩に手を置いた。意味ありげに微笑む。

 

司令官であれば、だれもが羨みたくなる態度を示してみせた。それはきっと城丸も例外でないはずだと、ガルマは信じていた。心の中でポツリと呟く。

 

彼女の目に映る僕は、ザビ家の坊ちゃんなどではなく、地球方面司令官ガルマ・ザビであるはずだ。だとすれば彼女も、自分を司令官と崇めてくれる一人なのだ。

 

“いざという時、ガルマ・ザビの名を叫んで死んでいく一人なのだ”。

 

であるなら、僕は彼女の信頼を裏切ってはいけない。絶対に、絶対に、絶対にだ。

 

ガルマはどこまでも控えめに、しかし眼光だけはますます鋭さを増しつつ言った。

 

「……私の質問が聞こえなかったのかな。君の鼻はどうなっているかと訊いているのだが」